私を勘当した父との和解 2014.04.20 Cさん(女性・40代) Tweet この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第107号より転載し、編集を加えたものです。 父が決めた進路 「Cには、大学に行くだけの勉強に対する情熱がなか。すぐに働けるように商業高校に行きなさい」 「えっ?」 行きたい高校があり、成績も少しずつ上がってきたときだったので、私は父の言葉にショックを受けました。両親が大学や短大を出ているので、当然、自分も大学に行かせてもらえると思い込んでいました。 「文句があるなら、高校なんて行かんでもよか。中学を出たら働きなさい!」 有無を言わさない父の言葉。私の進路はすべて父が決めました。まるで、父の敷いたレールの上を走らされているようでした。 父への恐怖心 私の父は、中学校の英語教師でしたが、私が小学校3年生の頃に心臓を悪くして、退職することになりました。幸い、母が公務員だったので、なんとか生活は成り立ちましたが、それ以来、「母が働き、父が家にいる」という“夫婦逆転”の生活になりました。 寝たきり生活ではなく、日常生活はできました。ただ、父は家事など一切やらず、母が仕事と家事を両立させていました。昔ながらの家庭で、食事も父が手をつけないとみんな食べられず、お風呂も父が最初と決まっていました。 元教師の父は、その分、私たち子供に対する教育に熱心になっていきました。勉強、立ち振る舞い、箸の上げ下ろしまで口を挟む父。しつけにはうるさく、幼い頃から日本舞踊も習わせられました。特に長女の私に対しては厳しく、手が出ることもたびたびありました。 (まるで、家にも“先生”がいるみたいじゃない。それも恐い先生が……) 私は学校が終わって、家に帰るのがほんとうに嫌でした。そのせいか、中学生になると奇妙な行動をしていました。いつも1日分の着替えを持って学校に通っていたのです。 いざというときは、それを持って、近くに住んでいる祖母の家に逃げ込もうと考えていました。しかし、実際に実行する勇気はありませんでした。やはり、何よりも父が恐かったのです。 突然襲った激痛 商業高校を卒業した後、私は地元の会社の経理部に勤めました。ひそかに一人暮らしを期待していましたが、父は私の給料まで管理しはじめ、それも叶いませんでした。 就職しても、給料は自分には入らず、父から貰うお小遣いでの生活──。 しかも、自宅から会社まで片道1時間半もかかるうえ、残業が多く、体力的にきつくなる一方でした。 そのうえ、職場での人間関係もうまくいきませんでした。職場の上司が、必要以上に私にきつくあたるからです。私がトイレに行っている時間も計っていて、なにかにつけて怒られました。 (なんで、私ばっかり、こんな目に遭うの……) 後で聞いた話によると、自分の縁故者を入社させたくて、私を辞めさせたがっていたらしいのです。 「痛い……」 ある日、下腹部に激痛が走りました。 病院に行くと、尿管結石と診断されました。ふつうは中高年の男性がなるような病気です。「20歳前の女性の尿管結石なんて、はじめて見ました」と、医者も珍しがっていました。 思い当たることがありました。私は、ストレスからか、人の3倍ぐらい食べるようになっていたのです。お昼にお弁当を食べた後、大盛のチャンポンを食べて、さらにピラフをぺろりと平らげる──とにかく、食べても食べても満たされません。私は、今で言う「過食症」に近い状態になっていました。 その後、結石のせいで、お腹がパンパンに腫れ上がり、歩くにも足が上がらないような状態になりました。また、食べるとすぐ吐くので、病院で点滴を打ちながら、会社に行きました。 結局、精神的にもすっかりまいってしまい、私は入社2年足らずで会社を辞めることにしました。 家出 仕事を辞めてからしばらくは、家にいる気にもなれず、療養もかねて埼玉の叔母の家で過ごしました。気分転換にずいぶん旅行もしました。環境が変わったせいか、体調も少しずつ回復していきました。 アルバイトができるようになると、「早く家を出たい」という気持ちが日増しに強くなりました。そして、24歳のある日、私はバッグ1つを持って、何も言わず家を出ました。行き先は、京都。以前旅行したときに、いつか住みたいと思っていました。 「誰にも気を使わずに、大の字になって寝られるような生活がしたい」 それが私の願いでした。 生活が落ち着いた頃、父に知られないように、母親の職場にこっそり電話をしました。 「母さん、私、生きているから大丈夫よ。心配せんでね」 父に連れ戻されないように、固く口止めをしてから居場所を教えました。実家に帰るつもりは、私にはまったくなく、母も私の気持ちを察してか、無理に説得することはしませんでした。 母からの小包 ある日、母から小包が届きました。中には、大川隆法先生の本が入っていました。 (この前、母さん、すごか本が出ているって言ってたな。これのことかな?) 最近、母は「幸福の科学」に入会したことを私に伝えてきていました。私は、半信半疑にその本を手にとって読み始めました。 その本には、「親子の関係というのは非常に縁の深いもので、1回や2回の生まれ変わりでできたものではない」と書いてありました。 (えーっ! 親子の縁って、あの世で約束してくるの?) 父が恐くて、自分に自信が持てず、不幸を環境のせいにしていた私。こんな人生が嫌でたまらず、「もし神様がいるなら、こんな人生早く終わらせて、天国に帰してほしい」とさえ思っていました。 しかし、この世は魂修行の場であり、親も、環境も、自分で選んで生まれてくることを知って驚きました。 そして、大川隆法先生の講演会があることを聞いた私は、いてもたってもいられず会場に向かいました。 私は一言も聞き漏らすまいと、真剣に拝聴しました。話を聴いていると、なんともいえない懐かしい気持ちがしてきました。いつも孤独と不安でいっぱいだった私は、感激で最初から最後まで泣きっぱなしでした。 「なんでこんなに胸が熱くなるんだろう? 私も会員になって、もっとこの教えを学びたい」 感動を抑えきれず、その後すぐに、私は幸福の科学に入会しました。 「言うこと聞かんなら、勘当だ!」 「いつまでも、こんな状態じゃいけないな。そろそろ長崎に帰ろう」 幸福の科学の教えを学びはじめてから、「父とも和解しなくてはいけない」という気持ちが芽生えてきていました。 無断で家出をしてから、もう4年が経っていました。久々に実家の門をくぐるのに勇気は要りましたが、なんとか父と顔を合わせ、あいさつをすることができました。 しかし、自宅に住む気持ちにはなれず、市内にアパートを借りて、仕事をすることにしました。その後、職場の友だちの紹介で主人と出会い、結婚することになりました。結婚の報告をするために2人で実家に行くと、父は意外にも喜んでくれました。 「よか人やかね」 父は主人の人柄が気に入り、上機嫌。 ところが、結婚式の話になると、急に態度が一転しました。 「結婚はよかけど、親戚なんか呼んで派手に結婚式をするのはやめてくれ」 「えっ?」 主人と私は唖然としました。 昔から父は親戚づきあいが嫌いでした。だからと言って、「結婚式をするな」というのは、めちゃくちゃな言い分でした。結局、折り合いがつかないまま、「結婚式は絶対やりますから」と言い捨てて、逃げるように帰りました。 その後、突然、父が私のアパートにやってきました。母も一緒でした。ちょうど、主人と結婚式の打ち合わせをしているときでした。 その様子を見た父はカッとなって、いきなり主人の上に乗っかり、殴りつけました。 「結婚式をするなら、結婚もやめろ!」 「お父さん、やめて!」 母が必死になって止めました。 「言うこと聞かんなら、勘当だ!」 そう言い残して、父は怒ったまま帰っていきました。 結婚式当日の事件 結婚式当日。 父は“体調不良”を理由に参加できないということにしていました。式も終盤にさしかかった頃です。 「それでは、新郎新婦から、ご両親に花束の贈呈です」 司会者の言葉に従って、主人が母に花束を渡そうとしたとき、私は驚きました。 なぜか、そこにいるはずの母がいません。代わりに叔母が立っていました。後で聞いた話によると、式の最中に、「結婚式をやめろ!」という、ものすごい剣幕で怒る父からの電話があり、それを止めるため、母は急いで家に帰ったそうです。周囲の人は、私たちが動揺しないように、何事もなかったように隠していました。 新婚旅行から帰ってからも、勘当されている私は、実家に帰って父と会うことはできませんでした。長女、長男が生まれたときも、電話で報告はしましたが、病院へ孫を見に来る父の姿はありませんでした。 子供が“親善大使”に 「──Cちゃん、実家に行ってこんね。お父さん、きっと待っとるよ」 幸福の科学の仲間のMさんは、私が父との関係で悩んでいることを知っていて、なにかと相談に乗ってくれていました。すでに勘当されて6年近く経っていました。それ以来、同じ長崎に住みながら一度も父とは会っていませんでした。 「でも、私、勘当されとるけん……」 「大丈夫さぁ。子供を連れていってやらんね。お父さん、絶対喜ぶよ」 Mさんに背中を押され、2歳の長男を連れて実家に行きましたが、とても父と同じ場に居合わせる勇気がありません。 「これから支部の公案を受けるけん、この子を預かってもらってよか?」 私は玄関先で母親に長男を預けると、部屋にも上がらず、そのまま支部へ向かいました。支部の公案が終わり、ドキドキしながら実家に行くと満面の笑みを浮かべて長男と戯れる父の姿がありました。 「よか子になったね」 怒られるかもしれないと思っていた私は、あまりの父の変わりように拍子抜けしてしまいました。 まるで、子供が私と父の“親善大使”になってくれたようでした。それからというもの、子供たちを連れていくと、父が喜ぶので、私は実家に帰れるようになりました。 父との和解 Mさんに誘われて、精舎研修に参加するようになると、私の父に対する気持ちも次第に変わっていきました。 特に、湯布院正心館で研修に参加したとき、今まで充分に見えていなかったものが見えてきました。 それは、幼少の頃から、父に愛されていた自分でした。アルバムのなかにある、小さな私をまるで宝物のように大切に抱いている父の写真を思い出しました。 「そういえば、いつも父はたくさん写真を撮ってくれたな。年代ごとに整理されたアルバムがいくつもある。どういう気持ちで撮ってくれていたんだろう?」 鬼だと思っていた父の厳しいしつけも、実は大人になってから役立つことばかりでした。 また、自宅でよく勉強をしていた父の後ろ姿が思い浮かびました。いろんな本を読んでくれたり、読書の喜びを教えてくれたのも父でした。 進学についても、今考えると、私の実力や性格を充分知ったうえでの正しい選択だったと思いました。父への感謝の気持ちが込み上げ、「お父さん大好き!」と無邪気に思っていた幼少時代の自分を思い出しました。 そして結婚式の事件──。 「母が代わりに働いていて、プライドが傷ついていたんだ。だから、親戚を呼びたくなかったのかもしれない」 父の立場になって考えてみると、もう、水に流そうと思えるようになりました。 その後、私は実家に帰る前に、幼少時代のかわいがられていた写真を思い浮かべながら、「家庭調和の祈り」※を唱えるようにしました。心のなかで父と和解するイメージを何度も描いていくうちに、不思議なことに、勘当されたことも忘れるぐらい、お互い仲良く語り合えるようになっていきました。 ※「家庭調和の祈り」:幸福の科学の三帰誓願者に授与される『祈願文(2)』に所収の経文。 「おじいちゃんのところに行こうよ」 「もう、自分もそんなに長くないかもしれんね……」 あるとき、父がぼそっと口にしました。 確かに、以前よりだいぶ痩せて、体調もよくなさそうでした。それでも子供たちが来ると、明るく元気に振舞い、孫2人を馬乗りさせながら喜んでいる父の姿がありました。 私と母が、「無理せんでね」と言っても、父はやめませんでした。 「おじいちゃんのところに行こうよ」 子供たちも、父が大好きになり、遊びに行くのをせがむようになりました。しかし、その後、父は入院し、孫たちと遊ぶこともできなくなりました。 父の愛が心にしみて ある秋の夜のこと、病室でたまたま父と私だけになる時間がありました。 「身体が痛い」と言うので、私は父の身体をさすってあげていました。あんなに大きく感じた父の背中が、なんだかとても小さく感じました。 すると、呼吸器の隙間から、か細い、小さな声が漏れてきました。 「Cは、がんばってるね。ほんとうにがんばってる……」 父にはじめて心の底から褒められた気がしました。思わず涙がこぼれました。 数日後、父は静かに息を引き取りました。父の葬式のとき「お父さんに殴られたことが懐かしいです」と号泣していた主人。 主人も、1年ほど前に入会し、一緒に幸福の科学で学んでいました。 「──お父さん、Cのことが、かわいくて仕方なかったんだよ」 厳しくても、情の深い父であることを主人はよく分かっていたのです。 その後、母から、父が「Cのために」と言って、遺産を遺してくれたことを聞きました。そこに込められた父の愛が私の心にしみてきました。 (お父さん、ずっと私のことを思っていてくれてたんだ……) この世限りではない親子の絆の強さを感じて、亡き父への感謝の気持ちでいっぱいになりました。 そのことに気づかせてくれたのは、幸福の科学の教えでした。時間は短くても、父と私は、最後にほんとうの父と娘になることができたのです。 この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第107号より転載し、編集を加えたものです。 変化したことは?,研修・行事,親子関係,隔月「ザ・伝道」 関連リンク 幸福の科学 入会案内 幸福の科学 精舎 幸福の科学 支部 同じテーマの記事 愛によるコミュニケーション 2017.03.18 こんにちは。 私は、ベロニカ・ウィリアムスと申します。アメリカのカリフォルニア州サンフランシスコから参りました。よろしくお願いいたします。今日は、コミュニケーションについて、話したいと思います。それは、世の中で、大切なこ… 続きを読む 同じテーマの記事 主エル・カンターレからの光と慈悲 2017.03.18 みなさん、こんにちは。 はじめまして、リンです。どうぞよろしくお願いします。私は、インド系のタイ人です。10月に王様が崩御されました。今日は王様への感謝もこめてスピーチをします。 私は小さい時から、守護霊がいることや、霊… 続きを読む 同じテーマの記事 生きている神さま、主エル・カンターレと同じ時代に生きられる奇跡 2017.03.18 みなさん、こんにちは。ビンセントと申します。西アフリカのベナンから今年の4月、日本にまいりました。ベナンは赤道と、北回帰線の間にあります。 私は6歳のころから、「日本へ来てください」という夢をよく見ていました。でもどうし… 続きを読む 同じテーマの記事 疑問の世界から、答えの世界へ 2017.03.18 こんにちは、私の名前は、ホセ・トニー・ゴンザレスです。ニューヨークから来ました。 今日は、皆さんに私の心の旅の話をしたいと思います。私がこれまで宗教に対してもっていた疑問と、その結果についてのお話です。 私は’… 続きを読む 同じテーマの記事 「いい人なら、入信できる」――“夫の宗教”に入信した私が思ったこと 2016.10.06 Oさん(40代・女性・東京都) 信仰を持って、自分が自由になった 結婚から10年、私は、夫が学生時代から信仰している宗教「幸福の科学」から距離を取り続けていました。主人が信仰するぶんにはよくても、自分が宗教に所属することは考えられなかったのです。しかし… 続きを読む 同じテーマの記事 講演会をきっかけに宗教への警戒心が解けました――ネット入会者の声 2016.08.26 Iさん(30代・男性・東京都) 「宗教」への警戒心 宗教と言うと、何か買わされるのではないか、強い勧誘があるのではないかという警戒心がある方も多いのではないでしょうか。実際、私がそうでした。幸福の科学の書籍を数十冊読んでいて、大川総裁を尊敬する気持ちは… 続きを読む 同じテーマの記事 幸福の科学とはつながっていたいと思った――ネット入会者の声 2016.07.05 S.Hさん(男性) きっかけは「天使のモーニングコール」 僕が幸福の科学と出会ったきっかけは、天使のモーニングコール(幸福の科学のラジオ番組)を聴いていたことでした。地元の商店街に幸福の科学の支部があって、あるとき、支部のイベントに参加して… 続きを読む 同じテーマの記事 私の仕事人生を劇的に変えた「10冊の本」 2016.06.17 M.Tさん(50代・男性・埼玉県) 28年前、幸福の科学の会員に 私が幸福の科学の会員になったのは28年前で、29歳のときでした。幸福の科学がスタートして3年目の時で、まず幸福の科学の月刊誌を読む「誌友会員」になり、そのあと規定冊数の10冊の本を読んでリポ… 続きを読む 同じテーマの記事 原因は家庭不和だった。度重なる子供のトラブルが解決 2016.03.22 Kが起こしたトラブル 私にはM(小6)とK(小4)の2人の子どもがいます。 Kが1年生の2学期のことです。ある日、何だか落ち込んだような顔をして、学校から帰ってきました。 その時、電話が鳴りました。 「今日、Kくんがお友… 続きを読む 同じテーマの記事 心のコントロールでパニック障害を克服! 2015.08.14 Kさん(40代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌「幸福の科学」第340号より転載し、編集を加えたものです。 突然、発作が! 今から6年前、私は、パニック障害を発症。初めての発作は、休日に友人と街に出かけていたときでした。突然胸が苦しくなり、そ… 続きを読む 同じテーマの記事 どんな職場でもベストを尽くす姿勢が道を開いた 2015.05.29 Nさん(20代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第23号より転載し、編集を加えたものです。 厳しい就職の現実 就職先がない……。 私は、10月を過ぎても就職が決まらない現実に愕然としました。 当時、大学院でガンの治療法を研究… 続きを読む 同じテーマの記事 人生設計で心を変えると職場環境も変わっていった! 2015.05.08 Wさん(20代・男性) この記事は毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第36号より転載し、編集を加えたものです。 入社してから3年は続けようと耐えていた 大手学習塾に入社してすぐの頃、失敗続きで苦しみました。 生徒の募集とフォロー、講師の採用や給… 続きを読む 同じテーマの記事 社内恋愛の失敗を引きずっていた私――彼の気持ちがわかるようになった 2015.05.01 Iさん(20代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第227号より転載し、編集を加えたものです。 死んでしまえたらどんなに楽だろうと思った 私が幸福の科学に入信したきっかけは、失恋でした。 別れた彼とは社内恋愛でした。短大を卒業… 続きを読む 同じテーマの記事 息子が「書きとり」を嫌がる――母子とも間違った完璧主義に陥っていた 2015.05.01 Kさん(女性) この記事は毎月発刊の機関誌「ヘルメス・エンゼルズ」第121号より転載し、編集を加えたものです。 ノートを投げ捨てて反抗する息子 長男のCが小学校に上がって、しばらくしたある日のことです。 「先生にケチつけられた!」と、C… 続きを読む 同じテーマの記事 未来は覆すことができるという教えが私の人生を変えた 2015.04.03 Sさん(40代・男性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第226号より転載し、編集を加えたものです。 清掃業で油まみれの日々 定時制高校に通っていた頃から29歳で転職するまで、私はビルの空調設備を清掃する仕事をしていました。ビルの天… 続きを読む 同じテーマの記事 出世したい!――今の部署で成果を上げて道が開けた 2015.03.20 Cさん(30代・男性) この記事は毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第19号より転載し、編集を加えたものです。 昇進した途端に仕事で挫折 私は、専門学校を卒業後、公務員となりました。就職して間もなくのころ、幸福の科学の信者になった私は、仕事を通… 続きを読む 同じテーマの記事 病弱な夫を責めている自分に気づけた精舎修行 2015.03.06 Rさん(60代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第246号より転載し、編集を加えたものです。 ボランティアは元気の源 私は、正心館で料理や作務のお手伝いをしています。不思議なんですが、ボランティアをすると心も体も軽くなって、… 続きを読む 同じテーマの記事 不幸はやめられる――20年以上の心の渇きを癒した真理 2015.02.13 Mさん(女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第236号より転載し、編集を加えたものです。 孤独な専業主婦が心の輝きを掴むまで 「おばちゃん、こういう本、好きなんじゃない?」。十数年前のある日。当時小学生だった息子の友達が… 続きを読む 同じテーマの記事 自己中心的だった私がみんなと心を一つにできた 2015.02.06 Yさん(10代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第25号より転載し、編集を加えたものです。 絶交の手紙を突然親友から受け取った 中学2年のある日の放課後のことです。帰宅しようと思って教室に戻ると、私の机の上に1通の手紙が置い… 続きを読む 同じテーマの記事 「尽くし過ぎる恋愛」から脱出!女性不信が解消 2014.08.09 Bさん(10代・男性) この記事は、毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第118号より転載し、編集を加えたものです。 わがままな彼女と付き合い、女性不信に 高校2年生の頃、僕は、誰もが憧れるマドンナ的存在の同学年の女子と付き合っていました。 はじ… 続きを読む 同じテーマの記事 「小悪魔系恋愛」から脱出!両親への感謝で人を素直に愛せるように 2014.08.08 Aさん(20代・女性) この記事は、毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第118号より転載し、編集を加えたものです。 傷つけ合う恋愛ばかり 数年年前の私は、恋愛を、スリルを楽しむゲームのようなものとして考えていました。そのせいで、自分も他人も傷つ… 続きを読む 同じテーマの記事 自分に自信が持てるようになった! 2014.07.29 Sさん(20代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「ヤング・ブッダ」第128号より転載し、編集を加えたものです。 幸福の科学を知ったのは、私がうまくいかないことばかりで、自信が持てずに悩んでいたとき。同じ短大のOさんが、幸福の科学のヤング・… 続きを読む 同じテーマの記事 自分を信じる言葉の力で東大合格へ! 2014.07.11 Nさん(10代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第46号より転載し、編集を加えたものです。 東京大学に合格 大学受験の結果、私は東京大学に合格することができました。 受験という人生のターニングポイントで成功したのは、「言葉の… 続きを読む 同じテーマの記事 53歳にして人生観が転換!孤独な職人から副工場長へ 2014.07.04 Hさん(70代・男性) この記事は隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第149号より転載し、編集を加えたものです。 勤務先の倒産 「今月で店をたたむことになった。Hさんにも辞めてもらわないと……」 10年以上前のことです。勤めていた老舗(しにせ)和菓子… 続きを読む 同じテーマの記事 「目が見えなくても、人生に光を見つけた」 2014.06.19 Aさん(20代・女性) この記事は隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第125号より転載し、編集を加えたものです。 見えることのない目 私は、生まれた時から目が見えません。 生まれつき目に障害があって、右目にわずかな光を感じるだけで、左目は何も見えませ… 続きを読む 同じテーマの記事 刑務所で大川隆法先生の教えに出会い、人生が180度変わった! 2014.06.18 Fさん(30代・男性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第253号より転載し、編集を加えたものです。 救われた人生 「たとえ地獄に堕ちたって、そこでもオレはうまく立ち回っていくぞ」 暴力団の組員として抗争の日々を送り、殺すか殺される… 続きを読む 同じテーマの記事 膀胱がんを克服!原因は「心の毒」だった!? 2014.06.17 Fさん(60代・男性) この記事は隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第148号より転載し、編集を加えたものです。 進行ガンの宣告 「こんなになるまで放っておく人、見たことないよ」 数年前、私は医師から膀胱(ぼうこう)ガンの宣告を受けました。1年ほど前… 続きを読む 同じテーマの記事 幸福の科学学園で見つけた夢に、現在チャレンジ中! 2014.05.27 Wさん(幸福の科学学園卒業生・アメリカ・ケンドール芸術大学在籍) この記事は、毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第325号より転載し、編集を加えたものです。 私は、チャレンジすることが苦手でした。 でも、地球の文明を創ろうとする幸福の科学の理想に触れて、世界のみんなを幸せにする「芸術」… 続きを読む 同じテーマの記事 経文『正心法語』のおかげで自分も職場も変わった! 2014.05.23 Kさん(30代・男性・徳島県) この記事は、毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第325号より転載し、編集を加えたものです。 数年前、徳島の阿波踊りをきっかけに幸福の科学の会員の方と知り合いました。 その縁で、思い切って幸福の科学の支部に行き、職場の人間… 続きを読む 同じテーマの記事 幸福の科学学園で「勉強する意味」を教えてもらって納得! 2014.05.16 Aさん(幸福の科学学園卒業生) この記事は、毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第325号より転載し、編集を加えたものです。 僕は、中学校に通っていたころは、「勉強はテストでいい点を取るためのもの」と考えている面がありました。 でも、高校から入った幸福の… 続きを読む 同じテーマの記事 生きる意味がわかった! 2014.05.15 Tさん(20代・女性) この記事は、毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第247号より転載し、編集を加えたものです。 募る孤独感 今は希望にあふれる毎日を送っている私ですが、幸福の科学の仏法真理に出会う前は、明るい未来など信じられませんでした。自… 続きを読む 同じテーマの記事 男性恐怖症を克服!「理解」と「尊敬」で幸せをゲット 2014.05.01 ayaさん(20代・女性) この記事は、毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第122号より転載し、編集を加えたものです。 男性恐怖症 私は25歳で結婚し、今は幸せな結婚生活を送っています。でも、もともとは「男性恐怖症」で、ごく最近まで恋愛ができません… 続きを読む 同じテーマの記事 不登校だった僕がクラスのリーダーに! 2014.04.30 (幸福の科学学園・関西校 中学2年生男子) この記事は、毎月発刊の機関誌「ヘルメス・エンゼルズ」第218号より転載し、編集を加えたものです。 以前通っていた中学校の雰囲気が合わず、中1の時、学校に行けなくなってしまいました。 でも、「幸福の科学学園でなら変われるか… 続きを読む 同じテーマの記事 幸福の科学学園の寮は「成長できる場所」 2014.04.29 (幸福の科学学園・那須本校 中学2年生男子) この記事は、毎月発刊の機関誌「ヘルメス・エンゼルズ」第218号より転載し、編集を加えたものです。 小学生のころのボクはキレやすく、嫌なことがあるとすぐにカッとして、親や先生を困らせていました。 さらに、友だちの嫌なところ… 続きを読む 同じテーマの記事 夫の浮気で気づいた自分の問題集 2014.04.23 Sさん(40代・女性) この記事は、毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第216号より転載し、編集を加えたものです。 夫の浮気 「バカじゃないの?手紙なんか寄こして。ぼくは他に好きな人がいるんだ」 ある晩のことです。夫が食卓につくなり吐き捨てるよ… 続きを読む 同じテーマの記事 1店舗から始めたコンビニ経営が30店舗に! 2014.04.19 Iさん(男性) この記事は、毎月発刊の機関誌「What’s幸福の科学」第58号より転載し、編集を加えたものです。 私は大川隆法先生が説かれる経営論に感動し、「人を幸せにする経営」を実践したいと、いつも強く思い続けてきました。… 続きを読む 同じテーマの記事 浮気、離婚を乗り越えて夫と復縁! 2014.03.27 Kさん(30代・女性) この記事は、毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第224号より転載し、編集を加えたものです。 やっぱり、死ねない…… 数年前の夏。私は、新宿の街を朦朧(もうろう)としてさ迷ったあげく、車が激しく行き交う道端に立ち尽くしてい… 続きを読む 同じテーマの記事 本当の自分に出会うことができた! 2014.03.20 Mさん(フィリピン・20代・男性) この記事は、毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第124号より転載し、編集を加えたものです。 2012年の3月、日本のHappy Scienceの学生メンバーが、フィリピンへ布教活動に来ていたのがきっかけで僕はメンバーにな… 続きを読む 同じテーマの記事 キリスト教、共産主義を経て幸福の科学に!聴覚障害、ろうあ者として生きて 2014.03.04 Kさん(50代・男性)、Nさん(20代・男性) この記事は、毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第254号より転載し、編集を加えたものです。 人生の問題集を乗り越えて 生まれつきの聴覚障害をもったKさん。ろうあ演劇で出会った青年・Nさんと、二人三脚で仏法真理を学んでいく… 続きを読む 同じテーマの記事 父のDV、シングルマザー……辛酸を乗り越え父を許すまで 2014.02.21 Hさん(40代・女性) この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第200号に掲載されている体験談の一部を転載し、編集を加えたものです。 漬物で飢えをしのいだ中学校時代 中学校2年生の春、私たち家族は、父の仕事の都合で引っ越すことになりました。調… 続きを読む 同じテーマの記事 自分が変われば人や環境は変わる 2014.02.20 Nさん(19歳・女性・神奈川県) この記事は、毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第123号より転載し、編集を加えたものです。 私は高校2年生の時、同じクラスのUさんから伝道され、幸福の科学のメンバーになりました。 中学から高校にかけて私はずっとイジメにあ… 続きを読む 同じテーマの記事 怒りの心を反省し、再就職に成功! 2014.02.02 Aさん(50代・男性) この記事は、毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第248号より転載し、編集を加えたものです。 人生を立て直したい 自分の人生、このままでいいんだろうかーー。40歳を過ぎるころ、私はそんなことを考えるようになりました。親との… 続きを読む 同じテーマの記事 大川隆法総裁の講演会に参加して入会! 2014.01.24 Sさん(40代・男性) この記事は、月刊「幸福の科学」第324号より転載し、編集を加えたものです。 10年以上前、兄がくれた『太陽の法』を読み、「この教えはスゴい」とは思っていたものの、「宗教は弱い人がやるもの」という先入観があって、入会はしま… 続きを読む 同じテーマの記事 人として最高の人たちばかりです! 2014.01.23 Oさん(20代・女性・香川県) この記事は、毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第122号より転載し、編集を加えたものです。 幸福の科学との出会いは、小学校6年生のとき。友人のNさんが幸福の科学の映画「永遠の法」を「一緒に観に行こう」と誘ってくれたのがき… 続きを読む 同じテーマの記事 まず自分が変わることで幸福になれる 2014.01.15 Yさん(40代・女性) この記事は、毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第223号より転載し、編集を加えたものです。 今から数年前、私は嫁姑関係に悩んでいました。義父母とは同居ではありませんでしたが、近くに住んでいたので、接する機会がよくあったの… 続きを読む 同じテーマの記事 怒ってばかりだった母の「意地悪してごめんね」 2014.01.15 Hさん(30代・女性) この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第116号より転載し、編集を加えたものです。 以前の私は、母のことを、いつも心のなかで責めていました。けれど、信仰と出会い、考え方がまったく変わってしまい、母との関係も変わりました… 続きを読む 同じテーマの記事 「与える愛の実践」でスランプを脱出できた! 2014.01.08 (20代・男性) この記事は、毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第223号より転載し、編集を加えたものです。 数年前、大学を卒業した私は、さらに服飾デザインの勉強がしたくて、故郷の九州を離れ、大阪の専門学校に通い始めました。はじめはコンテ… 続きを読む 同じテーマの記事 一歩を踏み出す勇気が友達の輪を広げた! 2014.01.07 Aさん(20代・女性) この記事は、毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第32号より転載し、編集を加えたものです。 心の中にあった壁 私は高校卒業後、持病のアトピー性皮膚炎がひどくなり、一年間自宅で治療に専念することに。外出できなかったので、友達… 続きを読む 同じテーマの記事 エル・カンターレ信仰を広めてフィリピンを繁栄させたい! 2013.12.27 モーゼス・ズビアガさん(男性・フィリピン) 本記事は「2013 Happy Science 全世界日本語スピーチ発表会」より、フィリピン工業大学を卒業後、2カ月前に日本に来たモーゼス・ズビアガさんのスピーチです。スピーチタイトルは、「今世の使命」。 皆様、こんにち… 続きを読む 同じテーマの記事 「仏陀はまだ生まれない」と教わっていたけれど…… 2013.12.27 ディプティ・フェルナンドさん(男性・スリランカ) 本記事は「2013 Happy Science 全世界日本語スピーチ発表会」より、写真と絵画が趣味のディプティ・フェルナンドさんのスピーチです。スピーチタイトルは、「スリランカの仏教と日本のハッピーサイエンスを比べたらど… 続きを読む