53歳にして人生観が転換!孤独な職人から副工場長へ 2014.07.04 Hさん(70代・男性) Tweet この記事は隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第149号より転載し、編集を加えたものです。 勤務先の倒産 「今月で店をたたむことになった。Hさんにも辞めてもらわないと……」 10年以上前のことです。勤めていた老舗(しにせ)和菓子屋が倒産しました。 「またか……」。実は、以前勤めていた店も経営不振で廃業しており、私にとっては2度目の経験だったのです。その時私は61歳。普通に考えたら、再就職は非常に難しい状況です。 しかし、私は信じていました。「あきらめなければ、必ず道は開ける」と。その強い思いを支えてくれたのが、幸福の科学の信仰でした。 15歳で和菓子の道へ 今でこそ、「和菓子作りが天職」と信じる私ですが、職人の道に入ったのは自分の意志ではありませんでした。 私が生まれたのは、第二次世界大戦が始まる2年前の1937年。生後2カ月で母を亡くし、父と祖母の3人で東京の本郷に暮らしていました。祖母といっても、祖父の後妻に入った人で、血のつながりはありません。私はいつも、母のいない寂しさを抱えていました。 小学2年生になる時、群馬の叔父の家に移り、ほどなくして終戦。同じ頃、祖母は他界し、父は東京に働きに出て、私は一人、居候として肩身の狭い生活を余儀なくされたのです。 一日も早く独立したいと思った私は、中学卒業後、銀座の和菓子屋で住み込みの仕事に就きました。屋根裏部屋で寝起きし、早朝から深夜まで、雑用や力仕事をこなす日々。銀座という土地柄、深夜に料亭から注文が入ることも多く、12時過ぎに配達に出ることも珍しくありませんでした。 孤独な職人時代 20歳になる頃、ようやく仕事場に入ることを許されました。といっても、まずは洗い場です。上下関係がはっきり分かれている厳しい世界でした。 道具が汚れていると、げんこつが飛んできたり、餡のでき栄えが悪いと、容赦なく投げ捨てられたりもしました。 職人の技も、当時は盗んで覚えるのが当たり前。残った餡で、夜中に丸めたり包んだりする練習をしたものです。 そうして、10年20年と腕を磨いていった私ですが、心はいつも孤独でした。生い立ちへの引け目から、自分に自信が持てず、修業に打ち込むほどに、他人に心を閉ざすようになっていったのです。 28歳の時に結婚しましたが、数年で離婚。母の記憶がない分、お嫁さんを大事にしようと決めていたのですが、現実は思うようにはいかないものです。その挫折体験が、人間不信に拍車をかけました。 53歳にして人生観が転換 そんなある日のこと、一つの新聞広告が目に留まりました。大川隆法先生の講演会の広告でした。心惹かれるものを感じ、当日、一人で会場へと向かいました。 「これは本物だ……」。説法の力強い言魂に心打たれた私は、ほどなくして入会。支部の皆さんと一緒に、本格的に教えを学び始めたのです。 とくに感銘を受けたのは、「人間は永遠の生命を持って転生輪廻している存在であり、人生には目的と使命がある」という霊的人生観です。 53歳にして、人生観が180度転換しました。 亡き母への思い 心の修行を深めたいと思った私は、家庭御本尊を自宅にご安置して、朝晩、経文を読誦するようになりました。 御本尊をいただいて1年くらい経ったある日のこと。いつものようにお祈りをしていたところ、ふと、亡き母のことが思い出されました。 「十分に面倒をみてやれなくて、すまなかったね」。そんな母の思いが、心の中に流れ込んできたのです。まるで黄金色の光に包まれているような感覚でした。 「自分は母に愛されたことがないと苦しんできたが、母は、自分を宝だと思って生んでくれたのだ。自分は愛されて生まれてきたのだ……」と、涙があふれて止まりませんでした。 子供の頃からずっと、心のどこかに引っかかっていた、「自分は価値のない人間だ」という思いが消えた瞬間でした。 「母が私を愛してくれているように、仏はすべての者を愛してくださっている。この世に価値のない人間なんていないのだ――」 仏への感謝、そして今まで出会ったすべての人への感謝でいっぱいになりました。 天命の発見 自ずと、仕事に対する姿勢も変わっていきました。以前は、ただ見栄えよく作ればいいと思っていたのが、「買ってくださる方が、このお菓子で、少しでも幸せになりますように」と、一つ一つ心を込めて作るようになりました。 「和菓子を通して世の中に幸福を広めることが、自分の天命だ――」 仕事仲間への接し方も変わりました。以前は、後輩の指導でも、相手を突き放し、失敗すると分かっていても、わざと教えないこともありました。 しかし、相手も仏の子であると思うと、相手を思いやる気持ちが湧いてきます。 「餡の量を減らしたほうがいい」「こっちの材料を使ったほうがいい」など、丁寧に教えるようになりました。 また、若い人やパートさんのアイデアも、頭ごなしに否定せず、よいと思ったことは、積極的にほめるようにしたのです。 いつしか、孤独な職人は姿を消し、「分からないことがあったら、Hさんに聞けばいいよ」と、皆さんに頼っていただけるようになっていました。 会社再建――副工場長へ 何より和菓子が好きな私は、定年後も嘱託社員として働きつづける道を選びました。しかし、その矢先に店が倒産――。 年齢を考えると、そのまま引退することもできましたが、私は、「必ず道は開ける」という心の声を信じつづけました。 そして数カ月後。店の再建の知らせが入ったのです。新社長の面接を受け、私はなんと副工場長として再雇用されることになりました。 製菓から箱詰め、発送作業と、連日深夜までフル稼働する生活は、60過ぎの体には堪えましたが、苦労のかいあって、年々経営は安定していきました。しかし、私にはさらなる試練が待っていたのです。 お返しの人生 「Hさん、おかげで店も安定して新しい人も増えてきた。そろそろ、副工場長を若い人に譲って、嘱託に戻ってくれないか」 65歳の時のことです。いままで指示を出していた自分が、一転、一番下で指示を受ける立場に。そのギャップに戸惑い、「いっそ引退しようか……」という思いが何度も心をよぎりました。 その迷いを断ち切るきっかけとなったのは、その頃、支部で拝聴した大川隆法先生の御法話でした。 「65歳が一つのラインです。若い人にも力があることを認め、若い人を立てる考え方をすることです。引き際の美学というものを知らなければいけません」(「『ティータイム』入門」より) この言葉が決めてとなり、私はプライドを捨て、恩返しの気持ちで、後進の指導に当たる決心がついたのです。 店にテレビの取材がきた時には、「職人代表」の立場で、インタビューを受ける機会もいただき、そのお役も無事に務めることができました。 心の発展は無限 人間はいくつになっても、どれだけ心を高めることができるかという、心の発展は無限だと思うのです。 来世、来々世と、無限の未来が待っていると思えば、何歳からでも夢を描き、努力を始めることができます。 私自身、「生涯、努力精進」の気持ちを忘れず、体の動く限り、多くの人を幸せにする和菓子を作りつづけていきたいと思います。 この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第149号より転載し、編集を加えたものです。 シニア・老後,仕事・成功,変化したことは?,隔月「ザ・伝道」 関連リンク 『ティータイム―あたたかい家庭、幸せのアイデア25』 『生涯現役人生―100歳まで幸福に生きる心得』 隔月「ザ・伝道」 同じテーマの記事 戦後70年 亡き戦友に捧げる祈り 2015.08.13 Jさん(80代・男性) この記事は隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第210号より転載し、編集を加えたものです。 雲の彼方に 「先に逝った戦友たちよ。今から俺も、そこに行くぞ」 1945年7月25日。当時19歳だった私は、「隼(はやぶさ)」の愛称を持… 続きを読む 同じテーマの記事 戦後70年、ようやく届けられた亡き戦友への供養の心 2015.07.23 Yさん(90代・男性) この記事は隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第204号より転載し、編集を加えたものです。 先の大戦は日本の侵略戦争ではない 先の大戦で、私たちは、戦友とともに陸軍兵士として命をかけて戦いましたが、戦後、「あれは日本の侵略戦争だ… 続きを読む 同じテーマの記事 熟年離婚の危機を乗り越えて――信仰の道を歩んで夫婦円満に 2015.04.24 Cさん(60代・男性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第244号より転載し、編集を加えたものです。 「別れてしまえばすべて解決するのではないか」 私が教師として勤めていた職業訓練校を定年退職したころから、妻の態度がよそよそしくなっ… 続きを読む 同じテーマの記事 沖縄戦という悲しみの記憶を乗り越えて 2015.04.11 Hさん(70代・女性) 終戦を迎えても夢でうなされる母 大東亜戦争末期の日本は、本土防衛の最後の拠点を沖縄としました。そのころ、アメリカ軍が沖縄に迫っていたのです。父は、島民たちに島の北部へ逃げるよう指示。母は、当時まだ赤ちゃんだった私を背負っ… 続きを読む 同じテーマの記事 脳溢血で寝たきりになった夫を介護――生活不安を乗り越えて 2015.03.14 Nさん(70代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第243号より転載し、編集を加えたものです。 日系アメリカ人の夫との結婚を機にハワイへ 私は日系アメリカ人の夫と結婚し、それを機にハワイに移住。やがて2人の子宝に恵まれました。… 続きを読む 同じテーマの記事 本物の真理を知って見つけた生きがい 2015.01.23 Nさん(80代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第223号より転載し、編集を加えたものです。 求め続けていた本物の信仰との出会い いまから30年ほど前、主人が亡くなったのをきっかけに、私は法華経系の伝統宗教の信仰を持つように… 続きを読む 同じテーマの記事 齢(よわい)100歳を迎えて、仏の教えを杖となし 2014.07.20 Oさん(100歳代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第261号より転載し、編集を加えたものです。 86歳からの再出発 明治、大正、昭和、平成。御世(みよ)を四代重ねてまいりましたが、まさか86歳になってから新たな人生を歩み始める… 続きを読む 同じテーマの記事 母の介護を通してつかんだもの 2013.10.19 悦子さん(70代・女性) この記事は、隔月発刊の「ザ・伝道」第165号より転載し、編集を加えたものです。 「さぁ、好きなことしよう!」 今から十数年前、私が58歳の頃のことです。 当時、外資系企業の人事担当だった私は、オーストラリア人の上司に呼ば… 続きを読む 同じテーマの記事 意志の力で現実を変えていける! 2013.01.31 かずえさん(50代・女性・群馬県) 大川隆法総裁の法話「晩年成功法」を礼拝堂で拝聴させていただき、終始、未来への希望や「まだまだこれからなんだ」というパワーを強く感じました。(※2013年1月27日(日)総本山・正心館にて開催/参考書籍:『生涯現役人生』)… 続きを読む 同じテーマの記事 総裁先生のお姿に元気をいただきました 2013.01.30 みさこさん(80代・女性・神奈川県) 大川隆法総裁先生の御法話「晩年成功法」(※2013年1月27日(日)総本山・正心館にて開催/参考書籍:『生涯現役人生』)を直接拝聴しました。 大川隆法総裁先生は、若くて素敵ですね。 もう幸福の科学の会員歴は30年近くにな… 続きを読む 同じテーマの記事 『生涯現役人生』が日本を救う! 2013.01.30 雷人悟郎さん(30代・男性・東京都) 大川隆法総裁先生の御法話「晩年成功法」(2013年1月27日(日)総本山・正心館にて開催/参考書籍:『生涯現役人生』)を本会場にて拝聴させていただきました。 御法話の内容や、会場の雰囲気が非常によく、元気とやる気と勇気を… 続きを読む 同じテーマの記事 「自家発電の力と実践力」をつける決意 2013.01.29 ひよちゃんさん(50代・女性) 今日は本会場で大川隆法総裁先生の講演「晩年成功法」と質疑応答に参加させていただきました。(2013年1月27日(日)総本山・正心館にて開催/参考書籍:『生涯現役人生』) 私は今、大川隆法総裁先生と同じ56歳です。 これか… 続きを読む