自殺を考える鬱(ウツ)の日々から抜け出して 2013.11.30 Cさん(30代・女性) Tweet この記事は、隔月発刊の「ザ・伝道」第147号より転載し、編集を加えたものです。 どうしても起き上がれない、生きていたくない……。ある朝、突然ウツになり、ひきこもるようになった私。7年にわたる泥沼の苦しみに沈んでいた私の心にある日、”奇跡”が起きました。 この世で一番不幸なのは私 私はこれまでの人生の大半を、「この世で一番不幸なのは私だ……」そう思って生きてきました。20代後半でウツ病になってからは特に、体は鉛を流しこまれたように重く、心は家族や周囲への恨みでいっぱい。死ぬことばかり考えていました。 そんな私を救ってくれたのは、幸福の科学の方々でした。皆さんの愛にふれて初めて、自分が今までたくさんの愛を与えられてきたことに気づき、ウツから立ち直ることができたのです。 雨漏りのする家 私が育った家は、雨が降るたびに何カ所も雨漏りがするような借家でした。私が生まれて間もない頃、父が営む金融会社が、知人にお金を持ち逃げされたことから借金を抱えて倒産。一家は、親戚の助けを得ながらやっと暮らしていたのです。 父は工場勤務に加え、早朝の新聞配達もしていました。幼な心に、私は父の体が心配で、「新聞配達やめればええのに」と言うと、父は笑って私の頭をなでてくれたものでした。 「心配せんでもええ。新聞配達は健康のためにしとるんや」 いつも優しいこの父が、私は大好きでした。 私はいらん子? 一方、母はいつも不機嫌でした。腎臓が悪かった母は、いつも眉間に皺を寄せていました。私は母に優しくしてほしくて、母の気を引こうと必死でした。 「お母さん、抱っこして」 両手を伸ばす私に、母は決まってこう言います。 「甘えやんの(甘えないで)」 また、具合の悪い母のために皿洗いを手伝おうとしても、いつも冷たく追い払われました。 「さわらんといて!」 次第に私は、「お母さんは私が嫌いなんや。いらへんのや」と思うようになりました。 生きていたくない 中学生になると、わが家と友達の家を比べるようになりました。雨漏りもせずお風呂のある家、流行りの服やラジカセ、優しい母親――。 「なんで私だけ、こんな不幸なんやろ?」 しかし、そんな惨めな状態を、人には知られまいと私は必死でした。小中高と成績は常に上位を保ち、「優等生」で通したのです。ところがふとした時に、いつも同じ思いがこみあげてきます。 「生きていたくないなぁ……」 死んで灰になって、自分を消滅させたいということが、いつしか私の唯一の願いとなっていきました。 父の死・母の病 苦難は続きました。高校3年の時には、父がガンで他界。悲しみを心に抱えながら、私は高校卒業後、生命保険会社に就職。ほどなくして母がパーキンソン病を発病したのです。 当時、同居の兄は昼も夜も仕事を持っていたので、母の世話は私が引き受けるしかありませんでした。母は銭湯に行くにも病院に行くにも、私の助けを求めます。その度に子供の頃の辛かった思い出が甦りました。 「抱っこもしてくれなかったくせに! なんであんたの世話なんかせなあかんの!」 そう思う反面、母を見ていると、放っておけません。頼まれる前に世話をし、「文句はないでしょ」とばかりに、夜は繁華街に出かけました。心にも体にも、やり場のない怒りと疲労を充満させながら―― 。 体が動かない あれは、27歳のある朝のことでした。体が重くて全く起き上がれなくなってしまったのです。家事は兄と母がやるようになりました。 「2人でできるんやんか。今まで私に押しつけとったんやな。お母さんの面倒は、私より可愛がられとった兄ちゃんが見るべきなんや!」 閉め切った暗い部屋で布団にくるまっていると、昔の嫌な思い出が頭を駆け巡ります。舌打ちをして私を見る母の冷たい視線。兄は新品の学習机を買ってもらったのに、私にはボロボロの事務机が与えられたこと……。体も心も、何倍もの重力で押しつぶされるようでした。 「死ぬな!」 「結局、こんな自分から逃れるには死ぬしかないんや」 とうとう私は、死を決意しました。自宅で餓死すれば、母と兄への復讐になるし、自分を消すこともできる。その一念で食べ物を断って一週間。簡単には起き上がれない状態になりました。そんな時、ふいに心の中に、ある考えが浮かんだのです。 「このまま死んではいけない」 どうしてそんなことを思ったのかは分かりません。でも、心に浮かんだその言葉は、「死ぬな、死ぬな」と訴えかけてきます。 「……救急車……」 私は何かにせっつかれるように、泥のように重たい体を引きずりながら受話器に辿り着くと、自分で救急車を呼びました。 そして、精神病院へ 私はウツ病と診断され、精神病院に収容されました。ベッドで点滴を受けていると、兄と、交際相手のMさんという女性が病室のドアを開けました。 Mさんは、まっすぐ駆け寄ってきて、初対面の私を、ぎゅうっと抱きしめたのです。私は何カ月もお風呂に入っておらず、垢と臭いにまみれた状態だったはずです。けれどもMさんは、そんなこと気にもせず、何も言わずに抱きしめ続けてくれました。 「こんな人がいるんや……」 それからもMさんは、通ってきてくれるようになりました。Mさんが来ると、病室がぱっと明るくなります。幸福の科学の会員であるMさんは、人生の意味や苦悩の意味を、少しずつ教えてくれました。 「Cちゃん、魂は永遠だから、自殺したって自分を消すことはできないのよ」 うそやろ? そんなん最悪や――。 魂は永遠と聞いて、当時の私は落胆しました。一方で、「自殺者は成仏できない」と教えられると、「あの時死ななんで良かった」と、心底ホッとしたのを覚えています。 心に響いた一言 2カ月後、私はたくさんの薬を持たされて退院しました。兄は私がひきこもらないようにと、サービスエリアでの販売の仕事を見つけてきました。しかし私はその仕事が合わず、半年後、またひきこもってしまったのです。 真っ暗な部屋で、過去の事をぐるぐる思い出しては、ブツブツと恨み言をつぶやく日々……。そのうち母は老人施設に入所していきました。 兄とMさんは、その後結婚。Mさんは度々家に来ては、 仏法真理の話をしてくれました。 「本当の『愛』はね、自分から与えるものなの。幸せになりたかったら、自分から人を愛することが大切なのよ」 ある時Mさんが言った言葉が心に響きました。私は時折、その意味を考えるようになりました。 外に出てみたものの…… 「外に出る練習と思って、支部でボランティアさせてもらったら?」 ひきこもって6年。自分でもどうにかしなければ、と思い始めていた矢先、Mさんの勧めに従って、幸福の科学の支部に通うことにしました。掃除や備品の整理をしながら、緊張してぎこちなくふるまう私に、皆さんが優しく接してくれます。 「Cちゃん、こんなんできたん? すぐにお嫁に行けるやんか」 しかし、褒められる度に、「私は褒められるような人間じゃない」と、強い違和感を覚えました。いたたまれなくなった私は、半年後、パタッと支部に行かなくなりました。仕事を投げ出してしまって、皆、怒っとるやろな――。心の中は罪悪感でいっぱいです。 こんな私でも、愛されていた 「Cちゃん、本当にこのままでいいの? 皆、あなたを待っとるよ」 ある日、いつになく強い口調のMさんに連れられて、2カ月ぶりに支部の門をくぐりました。すると――。 「あっCちゃん! 元気やったん?」 「よかったー、会いたかったんよー!」 満面の笑みと歓声が、私を迎えてくれたのです。呆然としてしまいました。皆が次々と抱きしめてくれます。泣いておられる人もいました。皆の温かさが心にしみてきて、自然と涙がこぼれました。 「私、こんなに中途半端やのに、受け入れてくれるんやな……」 私はそれまで、完璧にしないと嫌われると思いこんでいました。でも、支部の皆さんは、未熟な私を受け入れ、こんなにも愛してくれていたのだと分かったのです。 「私、アホやったわ」 急に心が軽くなりました。長年身に付けていた鎧を脱いだようなさっぱりとした気分です。たった今、これまでの自分と訣別できたのだと実感しました。すると、今まで一度も考えたことのない思いが、湧き上がってきたのです。 「生きていこう!」 新しい人生の出発 私はその日のうちに「いつかこれを飲んで死のう」と貯めていた大量の安定剤を捨てました。また、支部行事に参加しては仏法真理を学びました。また、支部行事に参加しては仏法真理を学びました。 そうするうち、Hさんという会員の方と知り合いました。一緒にいると心が安らぎます。自然におつきあいが始まりました。やがて、私達は、たくさんの方の祝福の中、結婚式を挙げました。 辛かったんやね、お母さん ある時私は、法友のIさんが母親との葛藤に苦しんでいることを知りました。私は、彼女が人生にどう向き合えばいいのかを、主人と考えていきました。人は魂修行のための人生計画を立てて生まれるといいます。 「彼女は何を学ぶために、その人を母に選んできたんだろう?」 「Iさんは、自分を愛してくれない母親を持つことで、かえって愛の大切さを知ったんや。そして、そんな母親を恨むんじゃなくて、本当は与えられていたことに気づいて、心から感謝できるようになることを、人生の問題集として設定してきたんやろなぁ」 自分でそう言った瞬間、ハッとしました。彼女への結論は、そのまま自分への解答でもあったのです。 「私は自分の気持ちを分かってほしいばかりで、お母さんの心なんて考えてなかった。それは「奪う愛」や。だからずっと苦しかったんや……」 私は母の生い立ちを辿っていきました。以前聞いた話では、幼い頃に実母を亡くし、父親の後妻に子供が生まれてからは邪魔者扱いされていたとか。母もまた、愛に飢えていたのです。やがて結婚してこれから幸せになれるという時の父の会社の倒産。どんなに辛かったか――。 母は私を毛嫌いしていたのではない、優しく抱きしめられた経験がないから、私にどう接していいのか分からなかったのでは。そう思い至った時、急に胸が熱くなり、母が不憫で涙がどっとあふれました。また、母との葛藤があったからこそ、信仰の道にいざなわれたのだと気づきました。 「私は不幸だったんじゃない。本当は全てを与えられてたんや……」 ウツは必ず治る それからは、母の入所先の施設をよく訪ねるようになりました。認知症の症状が出始めた母は、私に気づかないこともありますが、母の手をとって感謝を伝えると、母は微笑んでくれます。 私がウツになったのは、自分がいかに不幸かということばかり考え、与えられているものから目をそらしていたことが原因でした。でも、生きている限り、本当はたくさんのものを与えられています。そのことに素直に感謝した時、憎しみや悲しみは消え、心に喜びが生まれるのだと、今は実感できます。 私は今、同じ苦しみの中にある人に、仏がいつも見守ってくださっていること、「奪う愛」をやめて「与える愛」を始めることで、必ず苦しみから解放されるのだという真理をお伝えしています。 それが、私を苦しみの泥沼から救いあげてくれた幸福の科学の友人や、どんな時も傍らにあって、愛と慈悲を注ぎ続けてくださった仏へのご恩返しになると思うからです。 義姉のMさんより 初めてCさんに会った時、「絶対にこの子を助けたい」と思いました。信仰に出会って心の持ち方が変わることで、ウツを克服できた人はたくさんいます。Cさんも必ず治ると信じていました。彼女の良さが見えてくると、「あなたには良いところがたくさんあるのよ。本来のあなたになろうね」と、よく語りかけていましたね。 ご主人のHさんより 妻は、支部の皆さんの温かさにふれて、ウツ病から立ち直ることができ、彼女本来の長所を発揮できるようになりました。妻の長所は、人の好き嫌いがなく、誰とでも仲良くなれること。今は苦しんでいる人の心の支えになりたいと頑張っているんです。 この記事は、隔月発刊の「ザ・伝道」第147号より転載し、編集を加えたものです。 信仰との出会い,奇跡体験,自殺・鬱(ウツ),逆境・スランプ,隔月「ザ・伝道」 同じテーマの記事 「いい人なら、入信できる」――“夫の宗教”に入信した私が思ったこと 2016.10.06 Oさん(40代・女性・東京都) 信仰を持って、自分が自由になった 結婚から10年、私は、夫が学生時代から信仰している宗教「幸福の科学」から距離を取り続けていました。主人が信仰するぶんにはよくても、自分が宗教に所属することは考えられなかったのです。しかし… 続きを読む 同じテーマの記事 講演会をきっかけに宗教への警戒心が解けました――ネット入会者の声 2016.08.26 Iさん(30代・男性・東京都) 「宗教」への警戒心 宗教と言うと、何か買わされるのではないか、強い勧誘があるのではないかという警戒心がある方も多いのではないでしょうか。実際、私がそうでした。幸福の科学の書籍を数十冊読んでいて、大川総裁を尊敬する気持ちは… 続きを読む 同じテーマの記事 幸福の科学とはつながっていたいと思った――ネット入会者の声 2016.07.05 S.Hさん(男性) きっかけは「天使のモーニングコール」 僕が幸福の科学と出会ったきっかけは、天使のモーニングコール(幸福の科学のラジオ番組)を聴いていたことでした。地元の商店街に幸福の科学の支部があって、あるとき、支部のイベントに参加して… 続きを読む 同じテーマの記事 私の仕事人生を劇的に変えた「10冊の本」 2016.06.17 M.Tさん(50代・男性・埼玉県) 28年前、幸福の科学の会員に 私が幸福の科学の会員になったのは28年前で、29歳のときでした。幸福の科学がスタートして3年目の時で、まず幸福の科学の月刊誌を読む「誌友会員」になり、そのあと規定冊数の10冊の本を読んでリポ… 続きを読む 同じテーマの記事 私に気付きを与えてくれた真理の言葉 2016.02.20 本記事は「2015 HAPPY SCIENCE 全世界日本語スピーチ発表会」より、Geoffrey Faun Weng Foong (ジェフリー)さんのスピーチです。スピーチタイトルは、「私に気付きを与えてくれた真理の言… 続きを読む 同じテーマの記事 主エル・カンターレは、いつもそばにいる 2016.02.20 本記事は「2015 HAPPY SCIENCE 全世界日本語スピーチ発表会」より、Nutthawan Sirikun (ひとみ)さんのスピーチです。スピーチタイトルは、「主エル・カンターレは、いつもそばにいる」。 こんに… 続きを読む 同じテーマの記事 HAPPY SCIENCEと私の夢 2016.02.20 本記事は「2015 HAPPY SCIENCE 全世界日本語スピーチ発表会」より、Rさんのスピーチです。スピーチタイトルは、「HAPPY SCIENCEと私の夢」。 皆さん、こんにちは。 私は、Rと申します。よろしくお願… 続きを読む 同じテーマの記事 宗教への偏見と恐怖を乗り越えて――ネット入会者の声 2015.11.15 匿名希望(20代・男性) 幸福の科学との出会い 最初に幸福の科学の本に出会ったのは、高校生の頃でした。 たまたま古本屋で見つけて読んでみたところ、とても良いことが書かれていると感じ、他の本も読むようになりました。 家族は、新興宗教に対して、「金儲… 続きを読む 同じテーマの記事 書籍『仏陀再誕』は魂の親が語りかけてくれる奇跡の書 2015.08.14 Hさん(50代・男性) この記事は毎月発刊の機関誌「幸福の科学」第342号より転載し、編集を加えたものです。 もっと自分を高めたい 私は、若い頃から「自分を高めたい」という気持ちが強く、建築資材の販売業を営むかたわら、自己啓発系のサークルで学ん… 続きを読む 同じテーマの記事 戦後70年、ようやく届けられた亡き戦友への供養の心 2015.07.23 Yさん(90代・男性) この記事は隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第204号より転載し、編集を加えたものです。 先の大戦は日本の侵略戦争ではない 先の大戦で、私たちは、戦友とともに陸軍兵士として命をかけて戦いましたが、戦後、「あれは日本の侵略戦争だ… 続きを読む 同じテーマの記事 結婚なんて、と思っていた私が幸せな家庭を手に入れた 2015.07.11 Yさん(40代・女性) この記事は隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第130号より転載し、編集を加えたものです。 結婚に消極的だった私 わが家は、夫と小学生の娘2人、私の4人家族。いつも子供たちの元気な声が響いています。 独身時代の私は、結婚に消極的… 続きを読む 同じテーマの記事 憑依の苦しみにあった私が、澄み切った青空のような心を取り戻すまで 2015.05.22 Jさん(50代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第225号より転載し、編集を加えたものです。 七転八倒の苦しみ 今から20年以上前のこと。私は離婚して、郷里の沖縄に帰ってきていました。離婚の原因は、夫の浮気です。「捨てられた… 続きを読む 同じテーマの記事 不幸はやめられる――20年以上の心の渇きを癒した真理 2015.02.13 Mさん(女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第236号より転載し、編集を加えたものです。 孤独な専業主婦が心の輝きを掴むまで 「おばちゃん、こういう本、好きなんじゃない?」。十数年前のある日。当時小学生だった息子の友達が… 続きを読む 同じテーマの記事 本物の真理を知って見つけた生きがい 2015.01.23 Nさん(80代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第223号より転載し、編集を加えたものです。 求め続けていた本物の信仰との出会い いまから30年ほど前、主人が亡くなったのをきっかけに、私は法華経系の伝統宗教の信仰を持つように… 続きを読む 同じテーマの記事 乳がんを乗り越えて――信仰を持つ仲間の愛に感謝 2015.01.16 Yさん(60代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第219号より転載し、編集を加えたものです。 ガン宣告を突然受けて不安でいっぱいに 4年前のことです。病院の検診で乳ガンが見つかりました。自覚症状はなく、突然の宣告といっていい… 続きを読む 同じテーマの記事 医者として見出した、本当に人を救える医療 2014.12.26 Iさん(40代・男性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第221号より転載し、編集を加えたものです。 患者にとっての幸福とは? 「死とは何か、生命とは何かという探究なしに、医療はできないのではないか」 私がそう思うようになったのは、… 続きを読む 同じテーマの記事 自分に自信が持てるようになった! 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