過食症、ウツ……母との葛藤を克服して 2013.10.19 Sさん(30代・女性) Tweet この記事は、隔月発刊の「ザ・伝道」第163号より転載し、編集を加えたものです。 幼い日のピアノ・レッスン 「そこ! 左手の音、違ってる! 何度言ったらわかるの?」 母のヒステリックな罵声が浴びせられ、次の瞬間、私は床に倒れこんでいました。 幼稚園の年長から習い始めたピアノ。 その毎日の練習に、母は欠かさずつきあい、ぴったりと私の横に座って、厳しく指導していました。 うまく弾けないと、容赦なく私を叩き、胸ぐらをつかんで床に押し倒しました。 私は、涙でぐしゃぐしゃになりながら、「早くこの時間が過ぎ去りますように……」と、ただただ、そう願うことしかできませんでした。 母の厳しいピアノのレッスンは、私が小学校3年生でピアノをやめるまで続いたのです。 1980年、私は横浜市に生まれました。 父は努力家で、一流大学卒のエリート銀行マン。 母は名家から父のもとに嫁いできました。 両親とも教育熱心で、私が何か習い事をしたいと言えば、すぐに何でも習わせてくれました。 けれども、ボーッとしたタイプだった私は、学校の成績は今ひとつ。 にもかかわらず、小学校5年生になると、友人たちの影響から、私は中学校受験をしたいと両親にせがみ、塾に通うことになったのです。 中学受験 塾の勉強だけでは足りないからと、父が理科と算数を、母は社会と国語を担当し、つきっきりで私の勉強を見てくれました。 そして、またしても母のスパルタ教育が始まったのです。 父が異動になり、単身赴任すると、母の厳しさはいっそうエスカレートしていきました。 一問一問私に問題を解かせ、私が解けないと、「昨日、塾でやったでしょう! 何でできないの!」と怒鳴っては私を叩き、床に倒れて泣いている私をさらに何度も蹴りました。 私は、リビングに敷き詰められた絨毯(じゅうたん)に頬をぴったりと押しつけて、絨毯にこびりついている染みや汚れをぼう然と見つめながら、「ああ、一日でいいから、一人で勉強させてほしい……」と、心のなかで叫んでいました。 結局、成績はそれほど伸びず、私立のミッション系中高一貫校にかろうじて補欠合格した私は、その学校に進学しました。 私って価値のない人間? 中学入学後も、成績が悪いと、母は私を叩き、体罰は、私の体格が母のそれを追い越すようになるまで続いていたように思います。 さまざまな情報から、母の行為が「虐待(ぎゃくたい)」に近いということを初めて知った私は、母に対して反抗的になっていき、来る日も来る日も、母との激しい言い争いが続きました。 そんななか、私は絵を描くことの楽しさに目覚め、美術部に入部。 そのうちに、「美術大学に進学して、美術の教師になりたい」という夢を抱くようになりました。 けれども、父からは、「美大なんてだめだ! まともに勉強をしない人間に価値なんかない。お前は人間としての価値が低い」と、美術の道に進むことを猛反対され、目の前が真っ暗になりました。 「勉強ができることだけが、すべてなの? 美術を志す私には価値はないということ?」 私は両親が押しつけてくる価値観に対して、強い疑問を感じました。 こうして、中学校・高校時代は、両親、とりわけ母との衝突が絶えず、私はやることなすことのすべてを否定されて、もう、いっそ死んでしまおうかと思うことがよくありました。 反対する両親を何とか説得し、私は1年浪人して、美術大学に進学しました。 美術の道を選んだ私を、両親にも認めてもらいたい――その一心で、大学入学後は、絵にも学業にも真剣に取り組みました。 「学費は全額は出せない」と父から言われていたため、私は奨学金を得て、さらにアルバイトもして学費を稼ぎました。 けれども両親は、そんな私の努力を評価しようとしないばかりか、2人の妹たちと私とを、何かにつけて比較しました。 2人とも同じ中高一貫の有名私立進学校に通い、私より学校の成績が良かったからです。 「私はこんなに頑張っているのに……。何で私だけ認めてもらえないの?」 私は激しい憤りを覚えました。 このころ、私が外出先から帰宅すると、母と妹たちは、よくリビングでヒソヒソ話をしていました。 実は、すでに高校2年生のころから、私には軽い「過食症(かしょくしょう)」の症状があり、夜中にこっそり台所へ行っては、母が買い置きしてあった大量のお菓子を全部食べ尽くしていたのです。 そのことを、3人で噂していました。 「私だって食べたくて食べてるわけじゃない! やめられずに苦しんでいるのに……」 外ではアルバイトで疲れ果て、家はまるで針のむしろ――。 私の心は崩壊寸前になっていました。 心身のバランスを崩して そして、大学2年生のある日。 突然、幼いころ母から浴びせられた「あんたなんか、生きる価値がない!」という言葉が、そのまま耳元でリフレインされ、頭が割れるように痛みました。 いわゆる「幻聴(げんちょう)」でした。 さらに、母から叩かれているときの光景がフラッシュバックして、心がしめつけられるように苦しくなりました。 何も手につかなくなって、私は学校のカウンセリングルームに通い、何とか心を立て直すことができました。 けれども、私がどん底のときにも積極的に助けてくれようとはしなかった家族に対しては、冷ややかな感情がこみあげてきました。 「もう、この家には居場所がない……」 大学3年生の夏ごろから、私は友達の家を転々として家には帰らず、4年生の春、アパートを借りて一人暮らしを始めました。 大学卒業後は、経済的に早く自立しようと、昼間は知的障害者の作業所で働き、夕方から深夜まで、居酒屋でアルバイトをしました。 家を出たことで、両親と衝突することがなくなり、幻聴などの症状は消えていきました。 居酒屋のバイト仲間や常連客と交わす会話だけが、寂しさを紛らわせてくれました。 しかし、ハードな生活がたたり、私は再び心身に変調をきたし、心療内科で、「軽度のウツ」と診断されたのです。 新しい生命の誕生 そんなとき、親身になって支えてくれたのが、現在の夫、Sさんでした。 「胸に鉛の塊が入っているように苦しい。起き上がるのも辛い……」 そんな私を心配したSさんは、「静岡に転勤が決まったから、僕と結婚して、静岡で一緒に暮らそう」と言ってくれました。 そして、両親の大反対を押し切って、翌年、彼と結婚。 ほどなく長女が誕生し、静岡の地で新生活がスタートしました。 義母は、本当に優しく私を迎え入れてくれました。 訪ねてきた義父の親友までもが、「いい嫁をもらったなぁ。ご両親にもちゃんと許してもらえるといいなぁ……」と心配してくれるのを聞いて、何てあたたかい人たちなんだろうと涙が出ました。 主人の家族や親族の愛情に包まれて、私のウツの症状は徐々に快方に向かっていったのです。 しかし、出産後の子育ては、想像以上に大変でした。 娘が泣きやまないとイライラして、つい「うるさい!」などと怒鳴ってしまうこともありました。 幼い彼女は、とても不安な表情を見せ、おびえています。 すると、幼い私を叱っていた母の姿と、自分のそれとが二重写しになり、「母を責め続けてきたけれど、私も同じことをしている……」と愕然としました。 「母が私を虐待したように、私もこの子を虐待してしまうのでは……」と、子育てが不安で不安でたまらなくなりました。 思いあまって、私は、美大受験のときに予備校で知り合ったNさんに話を聞いてもらおうと、東京に住む彼女の自宅を訪ねてみることにしたのです。 幸福の科学の支部を訪ねて Nさんは、幸福の科学の熱心な信者で、その日、私は、彼女に誘われて、初めて幸福の科学の支部へ行きました。 支部長と面談していただき、自分がいかに母に不当に扱われてきたか、どれほど辛い思いをしてきたか、延々と訴え続けました。 黙って聞いていた支部長は、諭すように話し始めました。 「あなたは、『私はあの母親に育てられ、ひどいことをされたから不幸になった』と思って、お母さんを恨んでいるでしょう? でも、恨み心で恨みは解けないのですよ。『人を呪わば穴二つ』とも言うように、恨み心は、相手を不幸にするだけでなく、あなた自身をも不幸にするのです」 「え? 私がこんなに苦しいのは、母のせいじゃなくて、私が母を恨んでいるからなの?」 私はとても驚きました。 さらに支部長は、「親子には深い縁があって、子は親を選んで、あの世で約束して生まれてくるんですよ。あなたが、お母さんの子供として生まれてきたのにも、必ず意味があるのです」と、教えてくれました。 「自分がよりによって、あの母を選んで生まれてきたなんて……。いったい、なぜ?」 私は母を、「勝手に産んだくせに!」と責め続けてきました。 そして、大学を浪人したのも、過食症やウツになって苦しんだのも、すべて母のせいだと思ってきました。 しかし、支部長の語る言葉には力があって、最後は前のめりになって聴き入っていました。 そして、母と調和できないと、よい子育てはできないこと。まず、私の心を善念で満たすこと。そして、母にも善念を向けてみること――そうアドバイスしていただきました。 私は、「この子を幸せにするためにも、支部長のアドバイスを信じて実践してみよう」と決意して、支部を後にしたのです。 母への善念 そのころ、母とは1週間に1回程度、電話で話をしていました。 長女が生まれたことで、育児の話などをするようになっていたのです。 けれども、愚痴っぽい母の話に嫌気がさし、いつも最後は喧嘩になっていました。 私は、「母に善念を向けるなんて、とても無理だ……」と思いましたが、まず、「お母さんと仲良くなりたい!」 と、一日に何度も思うようにしてみました。 そして、喧嘩してしまった日は、電話を切ったあとに心を落ち着かせて反省し、勇気を出して私のほうからかけなおして、「さっきは、ごめんね」と謝るようにしました。 すると、母も「私も、ごめんね……」と言ってくれるようになったのです。 過去のことまでは水に流すことはできませんでしたが、ガチガチの石のように頑なだった私の心が、しだいにやわらかくなっていくのを感じました。 私は、少しずつ少しずつ、母を受け入れられるようになり、母との言い争いの頻度は、みるみる減っていったのです。 幸福の科学へ入会 ある日、以前Nさんからもらって、ずっと、そのままになっていた幸福の科学の本を、ようやく真剣に読んでみようという気持ちになり、ページをめくってみました。 そこに書かれている一つ一つの教えが心にしみこんで、いつも不安で自信がなく、不幸感覚ばかりが強かった私の心が、どんどん元気になっていきました。 夢中で10冊ほど読み終えたとき、「本を読んだだけで、こんなにも心が救われた。支部へ行ってみたい!」そう思っていると、主人が、「お前が一生懸命本を読んでいる幸福の科学の建物が、近くに建っているぞ」と教えてくれたのです。 勇気を出して電話をしてみると、「近々、支部の落慶式があるので、来てみませんか?」と誘われ、思いきって参加しました。 そして、その日、私は入会をしたのです。 愛の貸借対照表 あるとき、支部に精舎(しょうじゃ)の講師が来られ、愛についての講話をされました。 その講話のなかで、講師は、「愛の貸借対照表」についてふれられました。 ノートを左右に分けて、 今までの人生で「人からしてもらったこと」を左側に、「人にしてあげたこと」を右側に、それぞれ書き分けていきます。 そして、「自分がいかに多くのものを与えられてきたか」を発見して、与えてくれた人への感謝を深めていくというものでした。 「『私は、誰からも、何もしてもらっていない』と思う方もいるでしょう? でも、赤ん坊として生まれたあなたは、何もできなかったはずです。ミルクもオムツも、何もかも、お母さんにしてもらいましたよね?」 講師の話に、私は、ハッとしました。 母からこんなこともされ、あんなことも言われた……と恨んでばかりで、母から与えてもらったことなど、考えてみたこともなかったからです。 私は、母について「愛の貸借対照表」を書いてみることにしました。 しかし、子供のころのことを思い出そうとしても、母からされた仕打ちばかりが脳裏に甦ってきます。 叩かれて泣いていたこと、成績が悪いと言っては厳しく叱られたこと、「生きる価値がない!」とまで言われたこと……。 思い出しても悔しくて涙が出てきます。 「書き続けていると、書けるようになって、感謝できるようになるよ」という友人のアドバイスを信じて、私は引き続き、「愛の貸借対照表」を書いてみることにしました。 すると、比較的最近のできごととして、家を飛び出したあと、父に黙って私のアパートを訪ねてきて、そっとお金を渡してくれたときの心配そうな母の姿を思い出しました。 小さいころのことも少しずつ思い出しましたが、やはり、母への感謝の思いはなかなか出てきませんでした。 精舎の光のなかで しばらくして、主人と娘といっしょに、箱根精舎に参拝し、礼拝堂で母とのことを静かに反省していたときのことです。 母と、ずっと同居していた姑とが、言い争っている光景が、心に浮かんできました。 「そういえば、母は、よく祖母の悪口を言っていたなぁ。祖母は厳格な人だったから、お嬢様育ちの母は、苦労していたっけ……」 思えば母は、姑と同居しながら、3人も子供を育てたのです。 「一人を育てるというだけで、私はこんなに大変なのに……。きっと母は、祖母に遠慮して、自由に昼寝もできなかったんだろうなぁ。私には、優しい夫と優しい姑もいるけれど、父は亭主関白だったから、母は、何もかも全部一人で抱えていたんだろうな。一人ぼっちで、どんなに大変だったろう……」 今まで忘れていた母の苦労を思い出すうちに、胸が熱くなってくるのを感じました。 すると、幼いころの母との思い出が、ありありと心に甦ってきました。 まだ私が小さかったころ、「絵を描いて」とせがむと、「絵は苦手だから」と言いながら、「ちびまる子ちゃん」みたいなかわいい絵を描いてくれた母。 小学校入学のときには、上履きにレースを縫いつけて、きれいな刺繍をしてくれた母。 喜んで学校に持っていくと、みんなにひやかされ、次の日には、新しい上履きを買ってもらったっけ……。 給食袋や体操着袋は、すべて母の手作りで、クラスの誰のものよりも手の込んだ刺繍がしてあって、私は母のことが自慢だった。 私と妹たちに、焼き菓子の作り方を教えてくれた母。 そのときの母は、とてもうれしそうで、キラキラと輝いていた。 下の妹の愛子が生まれて、寝かしつけるとき、よく「ゆりかごの歌」を歌っていた母。 「きっと私にも歌ってくれていたんだろうな……」と思うと、とっても幸せな気持ちになったっけ……。 そこまで思い出した時、涙がとめどなく溢れてきました。 「私は今まで、母からされた嫌なことばかりを思い出し、繰り返し心の中で反芻しては、母への憎しみを深めていた。でも、本当は、母からこんなにも与えられていたんだ!」 憎しみという眼鏡を取って見た母の姿は、娘たちに懸命に愛を与えようとする優しい母の姿だったのです。 さらに――。 「母はなぜ、受験や職業のこととなると、 あんなに必死になりパニックになっていたのだろう。私にだけ厳しかったのは何でだろう……」 そんな疑問が湧いてきました。 すると、娘の姿が心に浮かんできました。 娘は幼いころの私に似て、どことなく要領の悪いところがあり、私は、つい先回りして、手を出したり、注意したりしてしまいます。 「母もこんな気持ちで私のことを育てていたのかもしれない……」 母の家系は、何でもそつなくこなす頭の良い人が多いなか、母だけが、おっとりした性格で要領もよくなかったときいています。 「母は、3人の娘のなかで1番自分に性格が似ている私のことが心配で、しっかり勉強させようと必死だったんだ。そして思い通りにならない私に苛立っていたんだ……」 お母さん。 お母さんの厳しさは、ほんとうは私への愛だったんですね。 私はそれがわからずに、ずっと恨んでいました。 でも、今、やっとお母さんの愛情がわかりました。 お母さん、ごめんなさい――。 そのとき、心のなかの母への憎しみが、静かに消えていったのです。 それから、しばらくたったある日のこと。 私は、電話で母に、「育ててくれて、ありがとう」と小声で言ってみました。 母は、「何よ、突然……」と、ぎこちない返事。 でも、ためらいがちにひとこと言ってくれました。 「せっかく美大を出たのに、個展のひとつも開いてあげられなくて……ごめんね」――私は、受話器を持ちながら、声を出さずに泣きました。 母と、母娘になったほんとうの理由は、今の私にはわかりません。 でも、親子の縁は、今世だけでなく、永い永い縁。 母とは、いつもお互いに学びあってきたのだと思います。 母にも仏法真理を伝えて、幸せになってもらいたい――今、心からそう願っています。 そして、それが、縁あって母の娘となった私の、最大の親孝行だと思っています。 この記事は、隔月発刊の「ザ・伝道」第163号より転載し、編集を加えたものです。 (原題:「お母さん、育ててくれてありがとう」) 信仰との出会い,変化したことは?,教育・子育て,自殺・鬱(ウツ),親子関係,隔月「ザ・伝道」 関連リンク 幸福の科学 支部 幸福の科学 精舎 同じテーマの記事 「いい人なら、入信できる」――“夫の宗教”に入信した私が思ったこと 2016.10.06 Oさん(40代・女性・東京都) 信仰を持って、自分が自由になった 結婚から10年、私は、夫が学生時代から信仰している宗教「幸福の科学」から距離を取り続けていました。主人が信仰するぶんにはよくても、自分が宗教に所属することは考えられなかったのです。しかし… 続きを読む 同じテーマの記事 講演会をきっかけに宗教への警戒心が解けました――ネット入会者の声 2016.08.26 Iさん(30代・男性・東京都) 「宗教」への警戒心 宗教と言うと、何か買わされるのではないか、強い勧誘があるのではないかという警戒心がある方も多いのではないでしょうか。実際、私がそうでした。幸福の科学の書籍を数十冊読んでいて、大川総裁を尊敬する気持ちは… 続きを読む 同じテーマの記事 幸福の科学とはつながっていたいと思った――ネット入会者の声 2016.07.05 S.Hさん(男性) きっかけは「天使のモーニングコール」 僕が幸福の科学と出会ったきっかけは、天使のモーニングコール(幸福の科学のラジオ番組)を聴いていたことでした。地元の商店街に幸福の科学の支部があって、あるとき、支部のイベントに参加して… 続きを読む 同じテーマの記事 私の仕事人生を劇的に変えた「10冊の本」 2016.06.17 M.Tさん(50代・男性・埼玉県) 28年前、幸福の科学の会員に 私が幸福の科学の会員になったのは28年前で、29歳のときでした。幸福の科学がスタートして3年目の時で、まず幸福の科学の月刊誌を読む「誌友会員」になり、そのあと規定冊数の10冊の本を読んでリポ… 続きを読む 同じテーマの記事 私に気付きを与えてくれた真理の言葉 2016.02.20 本記事は「2015 HAPPY SCIENCE 全世界日本語スピーチ発表会」より、Geoffrey Faun Weng Foong (ジェフリー)さんのスピーチです。スピーチタイトルは、「私に気付きを与えてくれた真理の言… 続きを読む 同じテーマの記事 主エル・カンターレは、いつもそばにいる 2016.02.20 本記事は「2015 HAPPY SCIENCE 全世界日本語スピーチ発表会」より、Nutthawan Sirikun (ひとみ)さんのスピーチです。スピーチタイトルは、「主エル・カンターレは、いつもそばにいる」。 こんに… 続きを読む 同じテーマの記事 HAPPY SCIENCEと私の夢 2016.02.20 本記事は「2015 HAPPY SCIENCE 全世界日本語スピーチ発表会」より、Rさんのスピーチです。スピーチタイトルは、「HAPPY SCIENCEと私の夢」。 皆さん、こんにちは。 私は、Rと申します。よろしくお願… 続きを読む 同じテーマの記事 宗教への偏見と恐怖を乗り越えて――ネット入会者の声 2015.11.15 匿名希望(20代・男性) 幸福の科学との出会い 最初に幸福の科学の本に出会ったのは、高校生の頃でした。 たまたま古本屋で見つけて読んでみたところ、とても良いことが書かれていると感じ、他の本も読むようになりました。 家族は、新興宗教に対して、「金儲… 続きを読む 同じテーマの記事 書籍『仏陀再誕』は魂の親が語りかけてくれる奇跡の書 2015.08.14 Hさん(50代・男性) この記事は毎月発刊の機関誌「幸福の科学」第342号より転載し、編集を加えたものです。 もっと自分を高めたい 私は、若い頃から「自分を高めたい」という気持ちが強く、建築資材の販売業を営むかたわら、自己啓発系のサークルで学ん… 続きを読む 同じテーマの記事 戦後70年、ようやく届けられた亡き戦友への供養の心 2015.07.23 Yさん(90代・男性) この記事は隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第204号より転載し、編集を加えたものです。 先の大戦は日本の侵略戦争ではない 先の大戦で、私たちは、戦友とともに陸軍兵士として命をかけて戦いましたが、戦後、「あれは日本の侵略戦争だ… 続きを読む 同じテーマの記事 結婚なんて、と思っていた私が幸せな家庭を手に入れた 2015.07.11 Yさん(40代・女性) この記事は隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第130号より転載し、編集を加えたものです。 結婚に消極的だった私 わが家は、夫と小学生の娘2人、私の4人家族。いつも子供たちの元気な声が響いています。 独身時代の私は、結婚に消極的… 続きを読む 同じテーマの記事 憑依の苦しみにあった私が、澄み切った青空のような心を取り戻すまで 2015.05.22 Jさん(50代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第225号より転載し、編集を加えたものです。 七転八倒の苦しみ 今から20年以上前のこと。私は離婚して、郷里の沖縄に帰ってきていました。離婚の原因は、夫の浮気です。「捨てられた… 続きを読む 同じテーマの記事 不幸はやめられる――20年以上の心の渇きを癒した真理 2015.02.13 Mさん(女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第236号より転載し、編集を加えたものです。 孤独な専業主婦が心の輝きを掴むまで 「おばちゃん、こういう本、好きなんじゃない?」。十数年前のある日。当時小学生だった息子の友達が… 続きを読む 同じテーマの記事 本物の真理を知って見つけた生きがい 2015.01.23 Nさん(80代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第223号より転載し、編集を加えたものです。 求め続けていた本物の信仰との出会い いまから30年ほど前、主人が亡くなったのをきっかけに、私は法華経系の伝統宗教の信仰を持つように… 続きを読む 同じテーマの記事 乳がんを乗り越えて――信仰を持つ仲間の愛に感謝 2015.01.16 Yさん(60代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第219号より転載し、編集を加えたものです。 ガン宣告を突然受けて不安でいっぱいに 4年前のことです。病院の検診で乳ガンが見つかりました。自覚症状はなく、突然の宣告といっていい… 続きを読む 同じテーマの記事 医者として見出した、本当に人を救える医療 2014.12.26 Iさん(40代・男性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第221号より転載し、編集を加えたものです。 患者にとっての幸福とは? 「死とは何か、生命とは何かという探究なしに、医療はできないのではないか」 私がそう思うようになったのは、… 続きを読む 同じテーマの記事 自分に自信が持てるようになった! 2014.07.29 Sさん(20代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「ヤング・ブッダ」第128号より転載し、編集を加えたものです。 幸福の科学を知ったのは、私がうまくいかないことばかりで、自信が持てずに悩んでいたとき。同じ短大のOさんが、幸福の科学のヤング・… 続きを読む 同じテーマの記事 幸福の科学の「考え方」はすごくいいと思う――ネット入会者の声 2014.07.24 Aさん(30代・男性) 漠然と持っていた「考え」がクリアになった 僕はもともと本が好きで、幸福の科学との出会いも、大川先生の本を読み始めたことがきっかけでした。 別の宗教に入った、という知人がいたこともあり、読書のジャンルに「宗教」が加わるよう… 続きを読む 同じテーマの記事 齢(よわい)100歳を迎えて、仏の教えを杖となし 2014.07.20 Oさん(100歳代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第261号より転載し、編集を加えたものです。 86歳からの再出発 明治、大正、昭和、平成。御世(みよ)を四代重ねてまいりましたが、まさか86歳になってから新たな人生を歩み始める… 続きを読む 同じテーマの記事 「目が見えなくても、人生に光を見つけた」 2014.06.19 Aさん(20代・女性) この記事は隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第125号より転載し、編集を加えたものです。 見えることのない目 私は、生まれた時から目が見えません。 生まれつき目に障害があって、右目にわずかな光を感じるだけで、左目は何も見えませ… 続きを読む 同じテーマの記事 刑務所で大川隆法先生の教えに出会い、人生が180度変わった! 2014.06.18 Fさん(30代・男性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第253号より転載し、編集を加えたものです。 救われた人生 「たとえ地獄に堕ちたって、そこでもオレはうまく立ち回っていくぞ」 暴力団の組員として抗争の日々を送り、殺すか殺される… 続きを読む 同じテーマの記事 もっと自分を高めていきたい 2014.06.08 Mさん(70代・徳島県) この記事は、毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第328号より転載し、編集を加えたものです。 一昨年の3月、徳島新聞で大川総裁の著書『太陽の法』の書籍広告を見つけました。内容が気になったので、本屋さんで本を購入しました。 … 続きを読む 同じテーマの記事 生きる意味がわかった! 2014.05.15 Tさん(20代・女性) この記事は、毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第247号より転載し、編集を加えたものです。 募る孤独感 今は希望にあふれる毎日を送っている私ですが、幸福の科学の仏法真理に出会う前は、明るい未来など信じられませんでした。自… 続きを読む 同じテーマの記事 幸福の科学の教えで世界を一つに! 2014.04.11 reallyさん(20代・女性) この記事は、毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第119号より転載し、編集を加えたものです。 人生に積極的な意味を見出せるように 私は幼い頃から、「なぜ、宇宙があり、地球があり、人は何のために生きなければならないのか」、そ… 続きを読む 同じテーマの記事 講演会に参加して 2014.03.28 Oさん(50代・男性) 最初に大川隆法先生の講演会に行ったのは、約1年前のことでした。 そのときはあまりピンとはきませんでしたが、何度も話を聞くうちに好感を持つようになりました。 そして昨年12月のエル・カンターレ祭で、「日本を憎んでいる国に対… 続きを読む 同じテーマの記事 15年経って、あらぬところから芽吹いた伝道の種 2014.03.26 KTさん(20代・女性) 私が入会できたきっかけは、ちょっと予想外だと言ってもらえます。 私が小学生の頃、近所に住む信者のIさんが私の母に伝道してくださいました。 私の母は仏教・真言密教の家に生まれ育ったり、キリスト教にも興味をもったりと、神秘的… 続きを読む 同じテーマの記事 本当の自分に出会うことができた! 2014.03.20 Mさん(フィリピン・20代・男性) この記事は、毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第124号より転載し、編集を加えたものです。 2012年の3月、日本のHappy Scienceの学生メンバーが、フィリピンへ布教活動に来ていたのがきっかけで僕はメンバーにな… 続きを読む 同じテーマの記事 怒鳴る父、パニック障害の母、脳腫瘍の妹……僕たち家族に光が差した日 2014.02.28 Tさん(10代・男性) この記事は、毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第235号より転載し、編集を加えたものです。 大酒を飲んで怒鳴りちらす父、パニック障害に苦しむ母、脳腫瘍に倒れた妹、不安に揺れ動く、僕。10年にわたり、家庭に重くのしかかって… 続きを読む 同じテーマの記事 自分が変われば人や環境は変わる 2014.02.20 Nさん(19歳・女性・神奈川県) この記事は、毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第123号より転載し、編集を加えたものです。 私は高校2年生の時、同じクラスのUさんから伝道され、幸福の科学のメンバーになりました。 中学から高校にかけて私はずっとイジメにあ… 続きを読む 同じテーマの記事 養女に出された寂しさが解消された時 2014.02.15 Hさん(40代・女性) この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第122号より転載し、編集を加えたものです。 私は、自分が小さい頃に養女に出されたことを、不幸だと思っていました。しかし、幸福の科学との出会いを通して、自分自身の境遇に対する見方が… 続きを読む 同じテーマの記事 すべては魂の糧だと知った時、勇気と希望が湧いてきた! 2014.02.05 Mさん(30代・女性) この記事は、毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第230号より転載し、編集を加えたものです。 感動の三帰誓願式 私は数年前に離婚して、2人の息子を育てています。経済的に自立しなければならず、喫茶店や酵素風呂のお店など、いく… 続きを読む 同じテーマの記事 仏法真理は、仕事と人生の指針です! 2014.02.01 Kさん(30代・男性) この記事は、毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第221号より転載し、編集を加えたものです。 幸福の科学との出会い 私が幸福の科学の仏法真理に出会ったのは、大学3年の時のことです。青春期には誰でも考えると思うのですが、当時… 続きを読む 同じテーマの記事 大川隆法総裁の講演会に参加して入会! 2014.01.24 Sさん(40代・男性) この記事は、月刊「幸福の科学」第324号より転載し、編集を加えたものです。 10年以上前、兄がくれた『太陽の法』を読み、「この教えはスゴい」とは思っていたものの、「宗教は弱い人がやるもの」という先入観があって、入会はしま… 続きを読む 同じテーマの記事 人として最高の人たちばかりです! 2014.01.23 Oさん(20代・女性・香川県) この記事は、毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第122号より転載し、編集を加えたものです。 幸福の科学との出会いは、小学校6年生のとき。友人のNさんが幸福の科学の映画「永遠の法」を「一緒に観に行こう」と誘ってくれたのがき… 続きを読む 同じテーマの記事 メンバーたちの純粋な思いに感動し、入会! 2013.12.20 Mさん(20代・男性) この記事は、毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第121号より転載し、編集を加えたものです。 幸福の科学との出会いは、バイト先で知り合ったUくんが、学生拠点のイベントに誘ってくれたのがきっかけでした。学生局のみんなは明る… 続きを読む 同じテーマの記事 祖国に仏の光を! ネパール人の間で広がる幸福の科学 2013.12.11 20代・男性・愛知県 この記事は、毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第237号より転載し、編集を加えたものです。 国籍豊かに70人以上が集う支部 ナマステ(コンニチハ)! ネパールからやってきたRです。私は1年前に幸福の科学の信仰に出会い… 続きを読む 同じテーマの記事 自殺を考える鬱(ウツ)の日々から抜け出して 2013.11.30 Cさん(30代・女性) この記事は、隔月発刊の「ザ・伝道」第147号より転載し、編集を加えたものです。 どうしても起き上がれない、生きていたくない……。ある朝、突然ウツになり、ひきこもるようになった私。7年にわたる泥沼の苦しみに沈んでいた私の… 続きを読む 同じテーマの記事 入会しないと味わえない幸福感 2013.11.09 ローズさん(40代・女性・北海道) 入会に抵抗する日々 私と、幸福の科学の出会いはかれこれ25年程前だったかと思います。親戚のある方が、「これは凄い本だ! お釈迦様の生まれ変わりの人が書いた本だから、読んでみてごらん」と、私と母のところに大川隆法総裁の本… 続きを読む 同じテーマの記事 幸福の科学の教えを韓国の人々へ 2013.11.07 Iさん(50代・女性・韓国) この記事は、月刊「幸福の科学」第259号より転載し、編集を加えたものです。 発展を続けるソウル支部で活躍されているIさん。その信仰の軌跡をたどります。 「隣人を愛せ」と説かれているのに 私は幼いころ、母に連れられてし… 続きを読む 同じテーマの記事 10年間、認知症の義母の介護を続けて 2013.11.07 Mさん(60代・女性) この記事は、隔月発刊の「ザ・伝道」第145号より転載し、編集を加えたものです。 なんで私がこんな目に――? この10年間、認知症の義母の介護をしながらも、私の頭からこの思いが完全に消え去ることはありませんでした。しかし… 続きを読む 同じテーマの記事 ネットをとおして信仰に出会い、不眠症とアルコール依存症が治った! 2013.11.07 yさん(40代・女性・岩手県) 私の信仰との出会いはとても不思議なものでした。娘のすすめでツイッターをやり始めて1カ月過ぎた頃、沖縄のgさんにフォローされた事がきっかけです。相手が誰かわからないインターネットの世界は、安心感もあり、メールを使い自分の… 続きを読む 同じテーマの記事 魂修行を支える医療の実現を目指して 2013.11.06 (30代・男性) この記事は、月刊「幸福の科学」第227号より転載し、編集を加えたものです。 私は、がんの放射線医療を専門とする病院で、新しい治療方法の研究と診療を行っています。幸福の科学の信仰との出会いは、医者としての生き方を大きく変… 続きを読む 同じテーマの記事 肝臓ガンで主人を亡くして 2013.11.06 (40代・女性) この記事は、隔月発刊の「ザ・伝道」第124号より転載し、編集を加えたものです。 主人を肝臓ガンで亡くした当時、私は、4人の子どもたちを抱え、将来の不安でいっぱいでした。しかし、映画「黄金の法」をきっかけに、仏法真理と出… 続きを読む 同じテーマの記事 私の信仰の目覚め 2013.11.04 ひじきさん(20代・女性・香川県) 軽い気持ちで学生部合宿へ 高校1年生のとき、幸福の科学学生部の冬合宿に参加したことが、私の転機でした。 同じ支部にいた大学生に誘われて、軽い気持ちで参加し、はるばる栃木県にある総本山・未来館まで行きました。 私の両親は幸… 続きを読む 同じテーマの記事 諦めかけた夢を取り戻した! 2013.10.19 Mさん(10代・女性・千葉県) この記事は、毎月発刊の小冊子「Young Buddha」119号より転載し、編集を加えたものです。 私は今、看護の専門学校に通っていますが、ここ最近、自分の将来に対して明るい希望が持てず、体調不良や寝不足などに悩まされて… 続きを読む 同じテーマの記事 心の調律の大切さ 統合失調症の克服を目指して 2013.10.03 花梨さん(30代・女性・千葉県) 幸福の科学のチラシ 私は、小学生のとき、登校拒否になりました。友達ができず、暗い毎日を送っていました。 そんなとき、ポストに幸福の科学のチラシが入っていました。 私は、宗教というものは、会員を騙して、さらに暗い世界に連れ… 続きを読む 同じテーマの記事 難病を持つ娘と過ごした日々 2013.10.01 Kさん(40代・女性) この記事は、隔月発刊の「ザ・伝道」第111号より転載し、編集を加えたものです。 生まれたばかりの娘が難病を抱えていた――。 それは、「自分は不幸だ」と思うには、十分すぎる理由でした。 どん底のような思いで生きる日々……。… 続きを読む 同じテーマの記事 18年間恨み続けた父を許した時 2013.09.28 Oさん(20代・女性) この記事は、毎月発刊の月刊「幸福の科学」第217号より転載し、編集を加えたものです。 眠れない日々 「つらい……。死にたい……」 2002年12月、看護師として3つ目の病院に移った私は、ひどい鬱(うつ)状態になりました。… 続きを読む 同じテーマの記事 フランス育ちの私が幸福の科学に出会うまで 2013.09.27 ラ・フランスさん(50代・女性) この記事は、毎月発刊の月刊「幸福の科学」第227号より転載し、編集を加えたものです。 私は都内の大学でフランス語の講師をしています。 2004年の秋、夫とともに幸福の科学に入会し、仏弟子としての新しい人生をスタートしまし… 続きを読む 同じテーマの記事 インターネットで幸福の科学に入会した理由 2013.06.18 あんぶるさん(40代・男性・新潟県) 知りたかったことが『太陽の法』に 入会したのは2011年4月ですが、1989年頃からでしょうか、もともと大川隆法総裁先生の著書を読んでいました。子どもの頃から、霊界や精神世界やUFO、宗教などに興味があり、いろんな本を読… 続きを読む