姑との確執、夫婦の不和……心が通い合うまで 2013.10.03 Mさん(40代・女性) Tweet この記事は、隔月発刊の「ザ・伝道」第117号より転載し、編集を加えたものです。 休日の午後、家族4人がそろうひととき――。 3歳になる娘のはしゃぐ姿に、日ごろ多忙な主人も目を細めています。 高校生の長男も嬉しそう。 ありふれた家族の光景ですが、わが家にこの幸せがあるのは幸福の科学との出会いがあったからです。 結婚後のユーウツ 忘れもしない、主人との出会いは20歳のころ。 友人に紹介された彼は、写真が趣味という医大生。 「写真のモデルになってくれませんか?」 「えっ……私が、ですか?」 正直、人に撮られるのはあまり気が進まなかったけれど、とても育ちのよさそうな雰囲気の人でしたので、OKしました。 それから撮影で何度か会ううち、私たちはお付き合いするようになったのです。 ちょっと強引なところのある彼。 しょっちゅうケンカもしましたし、別れようかと思ったことも何度かありました。 でも、「大学を卒業するまで待ってくれ」という彼の言葉を信じ、私はひたすら待ちました。 そして6年後に結婚……。 長かったです。 ようやく訪れた新婚生活。 いちばん楽しい時期のはずでした。 ところが、私はすぐにユーウツになってしまったのです。 それは、義母のこと。 義母はお茶の先生です。 立派な方だと思っていましたが、いざ自分の姑となると厳しくて参りました。 世間体を気にする人で、“嫁はこうあるべき”と、あれこれと細かく注意してくるのです。 「進物は、M家として恥ずかしくないものを送りなさい」 「お正月の三が日は家から出ないように」 礼儀作法に始まり、家計、隣近所のこと、親戚付き合い、進物の内容や金額、冠婚葬祭の衣装……義母はしょっちゅう電話をかけてきます。 明るく伸び伸び育ってきた私には、窮屈でしかたありません。 ちょっと外出して電話に出ないと、「どこ行ってたの?」と問いただされます。 しかし、頼みの主人は、病院の勤務医をしていて忙しく、1週間のうちの半分は家に帰ってきません。 私は主人が帰宅すると、すぐに訴えます。 「聞いて。今日、お義母さんがね……」 「そんなこと言うたんか……。まあでも、嫁なんやから、ちょっとは我慢してくれ」 主人はぶすっとして、それ以上聞きたくないという顔をします。 「あなたからもお義母さんに、なんとか言ってよ」 何度も主人に訴えましたが、義母に話をつけてくれることはなく、いつも私のところで話を収めようとします。 私は次第に鬱憤(うっぷん)が溜まっていきました。 どうしてかばってくれないの さらに長男が生まれると、義母は子育てにも介入してくるようになりました。 「お義母さん、それはちょっと……」 ある日、我慢できなくなった私は、義母と口ゲンカをしてしまいました。 主人にもこれまでの不満をバーッとぶつけると、主人はすごく怒りました。 「もう、何も言うな!」 「どうしてお義母さんじゃなくて、私のほうをかばってくれないの? そもそも、あなたが『どうしても』って望んだから結婚したんやないの。こんな状態やったら、なんで私がお嫁さんでなければならんの」 義母への不満は、だんだん主人への不満へと変わり、私たち夫婦は必要以外に会話することがなくなっていったのです。 主人は多忙にかこつけて病院に泊まり込むようになり、そのまま1カ月くらい家に帰ってきませんでした。 もう限界……。 こんなんなら、もう別れたほうがいいんやないか。 と言っても、子供もまだ5歳やし、自活なんてできそうにないし……。 一人で何カ月か悶々とした末、いつも私の相談にのってくれる弟に訴えました。 弟は黙って私の話を聞いてくれました。 「そういうことなら、いまのお姉ちゃんの気持ちに、ぴったりの本があるよ!」 弟は『仏陀再誕』という本を渡してくれました。 大川隆法総裁先生の本でした。 大川先生の本は、これまでも弟の勧めで何冊か読んでましたが、心が安らぐ感じがして大好きでした。 『仏陀再誕』を開くと、なんだか懐かしい感じ──。 「私は、おまえたちが涙しているのを黙って眺めていることができない。……私は、必ずおまえたちの涙を見つけるであろう」 優しい言葉に、胸がいっぱいになり、涙がボロボロあふれました。 主人を許せない気持ちでいっぱいだった私。 自分の気持ちをわかってもらえなくて、孤独感と寂しさを抱えていました。 でも、こんな私を、じっと見守っている方がいる。 私は一人じゃない──そう思うと、あたたかい気持ちになりました。 魂の縁がある!? 「私も幸福の科学に入りたい」と思いました。 けれども、主人に話をするのは、ちょっとためらいがありました。 以前、幸福の科学の本を主人にも見せようとしたら、「本読むだけで人が幸福になるんやったら、問題は起こってないんちゃうか。そんな簡単なものやない」と反発されていたからです。 「あのー、私、幸福の科学に入ろうと思うんやけど……」 「そうか。君の自由にしていいよ。けど、僕にはすすめないでくれ」 主人は、自分まで巻き込まれたくないという感じでしたが、思いのほか、すんなりと許してくれて、ホッとしました。 それから私は、幸福の科学の法友と一緒に学びはじめました。 私にとっては新鮮な驚きと喜びの連続でした。 そのなかでも、いちばん大きな発見は、「魂の縁」ということでした。 「なぜか気が合って友人となったり、夫婦となったり、師弟となったりすることがありますが、これは単なる偶然ではありません。過去の幾転生の過程で、親子や兄弟、友人などであった縁が、くり返し出てきているのです」(『釈迦の本心』) 「ということは、主人やお義母さんとも?」 これまで私は、「間違ったところに嫁いでしまったのではないか」と思えてなりませんでした。 でも、はっきり「縁がある」といわれてみると、「この苦しみも何か学べということかな。もうちょっとこの家で頑張ってみようか」と思い直したのです。 しかし、そうは思っても、夫婦の関係は相変わらずギクシャクしていました。 口を開けばケンカになってしまうのです。 なぜトマトはおいしいの? ある日、私は大川隆法先生の法話を聴きながら、家事をしていました。 「なぜトマトはおいしいのですか」 先生の問いかけが、一瞬、私の耳をとらえました。 ハッとしました。 そんなこと、考えたことありません。 「人間の食用に供される彼らは、おいしさというものをまとって現れてくるのです。ここにもまた、一つの愛があると私は思うのです……愛とは、自分のためではなく、他のものに尽くしたいという思いなのです」(『愛の原点』) 私は家事の手を止めて、しばらく考え込みました。 「トマトはおいしくてあたり前──そうじゃないんだ。トマトだって多くの人に喜んでもらえるように、おいしくなろうと努力しているんだ」 トマトがなんら見返りも求めず、他のものの喜びを、素朴に自らの喜びとして育っていくさまを想像してみました。 私は急に恥ずかしくなってきました。 いつも主人に不満ばかりぶつけていた自分。 よくよく考えてみたら、「たまには“いつもよくやっているね”って、ねぎらってくれてもいいじゃない。私はお義母さんの言うとおり頑張って、ちゃんと奥さん業してるやないの」という思いで、主人に愛情の見返りを求めていたのではないかと気がつきました。 「これって、まさに幸福の科学でいわれてる『奪う愛』や。仕事が忙しくて、なかなか帰ってこれへんのに、疲れ果ててやっと家に帰れば、私がワーワーお義母さんの文句言って……。これじゃ、主人だって面白くないよなあ」 なんだか主人に申し訳ない気持ちになりました。 私、変わらなあかんわ 「なかなか家庭ユートピアが築けないんですけど」 たまたま支部長と話をした機会に、夫婦のことを相談してみました。 「Mさん、ご主人の肩を揉んであげたりしたこと、ありますか?」 「いいえ、私はこちらから近づいて何かするとか、甘えるとかはできない性格なんです」 支部長は少し考えて、こう言いました。 「あの世から見れば、人生というものは、映画のなかで、ひとつの役割を演じているようなものなんですよ。ここは役者になったつもりで妻を演じてみてはどうですか」 「役割を演じる? そんな考え方があるんだ」 女優のように夫婦という役割を演じているイメージを思い浮かべると、肩の力が抜けていく感じがしました。 「『私はこんな性格やから』と、ちょっと意地になりすぎていたかもしれへん。いままで作ってきたモノサシを、いったん全部はずして、私、変わらなあかんわ」 あたたかい空気 まずは外見から──。 私は髪を明るく染めて、フワッとしたヘヤースタイルにしてみました。 服装も明るい色調のものを身につけました。 以前、「髪の毛、染めたらええんちゃうか」と言っていた主人の言葉を思い出したからです。 「主人はお堅い私を求めているわけではないんだわ」 結婚してからの私は、義母からきちんとするようにと言われるうちに、いつのまにか気持ちが萎縮し、服装や髪型まで地味なものを選ぶようになっていました。 でも主人は、結婚前の私のように、明るく華やかな感じのほうが好きなのではないかと気づいたのです。 次に表情。 このところ険しい表情になりがちだったのを反省し、いつもにこやかでいられるように意識しました。 そして会話。 「私の話を聞いてほしい」という思いを抑え、まず主人の話をていねいに聞くよう心がけました。 「いってらっしゃい」「お帰りなさい」というあいさつにも愛を込めました。 とくに力を入れたのはお料理です。 以前、味付けの好みで、主人と対立したこともありましたが、こだわりを捨てて主人の好みに合わせ、心を込めて作りました。 「どうしたら主人が喜んでくれるだろう」と考え、徹底して努力していきました。 しばらくすると、主人は時折、「おや?」という表情を見せるようになりました。 気がつくと顔がほころんでいたり、なんだか機嫌がよかったりと、主人の様子が変わっていくのがわかりました。 私も、ニコニコしている主人を見るとうれしくなります。 「よし、もっと頑張ろう」と、いっそう思いを込めて取り組むようになりました。 1年が過ぎると、家庭にあたたかい空気が流れだしました。 あたたかい空気 あるとき、実家の母と話していたら、思いがけないことを聞いたのです。 「この前、Tさんが、あなたのこと、『最近、料理がすごくおいしくなった。幸福の科学のおかげかな』って言ってたよ」 主人は私には直接なにも言いませんが、うれしさでいっぱいになりました。 「ちゃんと認めてくれてた。よかったぁー」 私も、主人のために努力を積み重ねていくなかで、自分が変わっていく喜びと楽しみを味わうことができたのです。 また、この間に義母への反省も深まりました。 私の気持ちが素直になってくると、義母からの言葉も、私が恥をかかないように助言してくれていたんだと、感謝で受け入れられるようになったのです。 そんな思いで義母に接していると、「Mさん、たいへんでしょ。よくやってるわね」と励ましてくれるようになりました。 主人の本音を知ってまもなくのこと、大川隆法総裁の法話の上映会があり、私はドキドキしながら主人を誘いました。 「こんど、大川先生のお話があるんやけど、行ってみいひん?」 「……うん、ええけど」 主人は、意外にすんなり承知してくれたのです。 それをきっかけに、主人も時折、支部に足を運んでくれるようになり、エル・カンターレ祭のときに、入会したのです。 主人ってすごい! 冷静でものごとを論理的に詰めていく主人。 幸福の科学についても、書籍を読んで知的に学ぶことから入りました。 そんな主人も、精舎に行くようになると、頭だけでは理解できない、新たな発見があったようです。 初めて二人で受けた精舎研修──。 総本山・未来館の公案研修で、主人は心が解放されたように、とてもリラックスしていました。 そこで、「理屈ではない感覚的なものの重要性を感じた」のだそうです。 やがて仕事の話もポツポツ話してくれるようになった主人。 「子どもの悩みを抱えている患者さんがいるけど、どんな本が向いてるのかな」 患者さんのなかには、生活面の悩みを抱えている方がとても多いようで、相談にのることもしょっちゅうあるそうです。 私も自分のわかる範囲で考えたり、幸福の科学のお友達に聞いた話を伝えたりしていました。 あるとき、内科医院を開業した主人の在宅診療についていったことがあります。 看護師の資格を持っていないのでテープを切るぐらいの手伝いしかできませんが、私は主人の後ろで控えていました。 「調子はどう? まだ痛い?」 分刻みで動き、食事をとる暇もないほど忙しく働いています。 仕事に取り組む姿を初めて見て、心から感動しました。 「この人は、毎日、人助けの尊い仕事をしているんだ……」 「奥さん、お宅の先生は本当に患者さんのために心を込めて接してるんですよ」 主人への尊敬の気持ちでいっぱいになりました。 13年目の宝物 ある日、なんの脈絡もなく、なぜか心にふっと女の子の名前が浮かんできました。 「ねぇ、『○○』って、なんかええ名前や思わへん? 私、好きやわ」 そんな話を主人にしていたら、後になって、私の妊娠が判明したのです。 長男誕生から13年目のことで、びっくりです。 「今度、生まれてくる子が天上界からインスピレーションを下ろしてくれたのかもしれない」 2002年3月、予想通り、女の子が誕生。 義母もたいへん喜んでくれました。 子どもたちが、将来、社会のお役に立つ人間に育ってほしいと願わずにはいられません。 主人は相変わらず仕事が忙しい毎日ですが、子どもを学校に送ったり、できるかぎり協力してくれています。 いま私たち夫婦は“信頼”という絆で結ばれている実感があります。 こんな家族になれたのも、幸福の科学に出会ったからです。 これからも信仰を中心にして、わが家をますます輝かせていきます。 そして私が得た経験と学びを生かして、幸せな家庭がたくさん増えるように信仰の素晴らしさ、尊さをお伝えしてまいります。 この記事は、隔月発刊の「ザ・伝道」第117号より転載し、編集を加えたものです。 夫婦・結婚,嫁姑問題,親子関係,隔月「ザ・伝道」 関連リンク 仏陀再誕 釈迦の本心 愛の原点 同じテーマの記事 「いい人なら、入信できる」――“夫の宗教”に入信した私が思ったこと 2016.10.06 Oさん(40代・女性・東京都) 信仰を持って、自分が自由になった 結婚から10年、私は、夫が学生時代から信仰している宗教「幸福の科学」から距離を取り続けていました。主人が信仰するぶんにはよくても、自分が宗教に所属することは考えられなかったのです。しかし… 続きを読む 同じテーマの記事 原因は家庭不和だった。度重なる子供のトラブルが解決 2016.03.22 Kが起こしたトラブル 私にはM(小6)とK(小4)の2人の子どもがいます。 Kが1年生の2学期のことです。ある日、何だか落ち込んだような顔をして、学校から帰ってきました。 その時、電話が鳴りました。 「今日、Kくんがお友… 続きを読む 同じテーマの記事 舌ガンになった夫――ガンの原因は食べ物だと思っていたのに 2015.07.25 Mさん(50代・女性) この記事は隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第126号より転載し、編集を加えたものです。 夫が舌ガンに 「舌ガンだそうだ……すぐ手術しなければいけないらしい」 「口内炎じゃなかったの!?」 病院から帰宅した夫の報告に、私は呆然… 続きを読む 同じテーマの記事 結婚なんて、と思っていた私が幸せな家庭を手に入れた 2015.07.11 Yさん(40代・女性) この記事は隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第130号より転載し、編集を加えたものです。 結婚に消極的だった私 わが家は、夫と小学生の娘2人、私の4人家族。いつも子供たちの元気な声が響いています。 独身時代の私は、結婚に消極的… 続きを読む 同じテーマの記事 DV夫から逃げ出した子持ちの私が再婚して幸せになるまで 2015.07.04 Mさん(30代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第255号より転載し、編集を加えたものです。 準備もないまま結婚・妊娠 私は、23歳のときに会社で知り合った男性と、両親の反対を押し切って結婚しました。 そして妊娠を理由に、ほ… 続きを読む 同じテーマの記事 熟年離婚の危機を乗り越えて――信仰の道を歩んで夫婦円満に 2015.04.24 Cさん(60代・男性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第244号より転載し、編集を加えたものです。 「別れてしまえばすべて解決するのではないか」 私が教師として勤めていた職業訓練校を定年退職したころから、妻の態度がよそよそしくなっ… 続きを読む 同じテーマの記事 病弱な夫を責めている自分に気づけた精舎修行 2015.03.06 Rさん(60代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第246号より転載し、編集を加えたものです。 ボランティアは元気の源 私は、正心館で料理や作務のお手伝いをしています。不思議なんですが、ボランティアをすると心も体も軽くなって、… 続きを読む 同じテーマの記事 結婚で心のステージ・アップ 2014.09.12 Fさん(30代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第248号より転載し、編集を加えたものです。 カラ回りする気持ち 私は20代のころから「将来は結婚して、幸せな家庭を作りたいな」と思っていました。でも、理想とは裏腹に、結婚生活… 続きを読む 同じテーマの記事 亡き妻が教えてくれた「あの世は絶対にあるよ」 2014.07.05 Kさん(40代・男性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第230号より転載し、編集を加えたものです。 40歳の若さで亡くなった妻 数年前、5人の子供と私を残して、妻のHが40歳の若さで、がんで亡くなりました。もし信仰がなかったら、私… 続きを読む 同じテーマの記事 暴れ狂うDV夫が信仰で変わった! 2014.06.06 Tさん(40代・女性) この記事は隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第151号より転載し、編集を加えたものです。 家庭の平安を取り戻すまで 飛び交う罵声、壊される壁。家庭が荒れ、私は20年以上に渡って、心安まらない日々をすごしていました。 我が家が平… 続きを読む 同じテーマの記事 夫の死の悲しみを乗り越えて「あなた、天国でまた会いましょう」 2014.06.01 Kさん(40代・女性) この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第150号より転載し、編集を加えたものです。 夫の死の悲しみを乗り越えて 「あなたが天国に旅立ってから、もうずいぶん経ちましたね。私も2人の息子たちも元気にすごしています。あなたも… 続きを読む 同じテーマの記事 先祖供養大祭のなかで心に聴こえた懐かしい声 2014.05.13 Oさん(70代・女性) この記事は、毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第259号より転載し、編集を加えたものです。 長年つれ添った愛する夫との死別 今から数年前のことです。長年つれ添った夫の大腸がんが発覚。その後、手術を受け、闘病生活を送ること… 続きを読む 同じテーマの記事 夫が鬱(ウツ)に。夫婦で乗り越え、再就職に成功! 2014.05.08 Sさん(40代・女性・東京都) この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第203号より転載し、編集を加えたものです。 看護士の夫が鬱(ウツ)に 「人工透析内科」で看護士をしていた主人が、ウツ病になり、退職したのは、10年程前のことでした。 仕事でのスト… 続きを読む 同じテーマの記事 男性恐怖症を克服!「理解」と「尊敬」で幸せをゲット 2014.05.01 ayaさん(20代・女性) この記事は、毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第122号より転載し、編集を加えたものです。 男性恐怖症 私は25歳で結婚し、今は幸せな結婚生活を送っています。でも、もともとは「男性恐怖症」で、ごく最近まで恋愛ができません… 続きを読む 同じテーマの記事 父への恐怖心をなくしたら、理想の相手と出会えた 2014.04.30 Tさん(女性・40代) この記事は、幸福の科学 幸福結婚相談所のリーフレットより転載し、編集を加えたものです。 父への嫌悪感や恐怖心 結婚したいと思いつつも、内心では結婚に対してあまり夢を持っておらず、どこか消極的な思いがあった私。 それは、父… 続きを読む 同じテーマの記事 結婚への焦りを手離し、自然な流れでゴールイン 2014.04.30 Sさん(男性・30代) この記事は、幸福の科学 幸福結婚相談所のリーフレットより転載し、編集を加えたものです。 がんばっているのに相手が見つからない 私は、35歳になったのをきっかけに、幸福の科学の幸福結婚相談所に入会しました。 相談所主催の交… 続きを読む 同じテーマの記事 夫の浮気で気づいた自分の問題集 2014.04.23 Sさん(40代・女性) この記事は、毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第216号より転載し、編集を加えたものです。 夫の浮気 「バカじゃないの?手紙なんか寄こして。ぼくは他に好きな人がいるんだ」 ある晩のことです。夫が食卓につくなり吐き捨てるよ… 続きを読む 同じテーマの記事 浮気、離婚を乗り越えて夫と復縁! 2014.03.27 Kさん(30代・女性) この記事は、毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第224号より転載し、編集を加えたものです。 やっぱり、死ねない…… 数年前の夏。私は、新宿の街を朦朧(もうろう)としてさ迷ったあげく、車が激しく行き交う道端に立ち尽くしてい… 続きを読む 同じテーマの記事 養女に出された寂しさが解消された時 2014.02.15 Hさん(40代・女性) この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第122号より転載し、編集を加えたものです。 私は、自分が小さい頃に養女に出されたことを、不幸だと思っていました。しかし、幸福の科学との出会いを通して、自分自身の境遇に対する見方が… 続きを読む 同じテーマの記事 心の傷と主人の鬱(ウツ)を乗り越えて 2013.12.05 Jさん(40代・女性) トップの表示をコンテンツとしてそのままタグを出すか、このように抜粋機能を利用して誘導するか。後者がおすすめ。 続きを読む 同じテーマの記事 お母さん、生んでくれてありがとう。 2013.11.07 Mさん(40代・女性) この記事は、隔月発刊の「ザ・伝道」第144号より転載し、編集を加えたものです。 私はダメな子 私はダメな子なのかな――。物心ついたころから私は、自分のことをそんな風に思っていました。 なぜなら、母から私自身を「否定」さ… 続きを読む 同じテーマの記事 肝臓ガンで主人を亡くして 2013.11.06 (40代・女性) この記事は、隔月発刊の「ザ・伝道」第124号より転載し、編集を加えたものです。 主人を肝臓ガンで亡くした当時、私は、4人の子どもたちを抱え、将来の不安でいっぱいでした。しかし、映画「黄金の法」をきっかけに、仏法真理と出… 続きを読む 同じテーマの記事 20年以上前に離婚した夫を介護して 2013.10.19 Yさん(60代・女性) この記事は、隔月発刊の「ザ・伝道」第198号より転載し、編集を加えたものです。 突然の知らせ 「お母さん、親父が心筋梗塞で倒れてICUに入っちょるんよ。糖尿病で、足の指も2本もげて、太腿に腫瘍もできちょって……」 そう長… 続きを読む 同じテーマの記事 聴覚障害を乗り越え、生涯の伴侶と巡り合って 2013.10.19 Mさん(40代・女性) この記事は、隔月発刊の「ザ・伝道」第164号より転載し、編集を加えたものです。 音のない世界 1971年、私は大阪で生まれました。 未熟児だったため、病気がちで、間もなく肺炎にかかり、生死の境をさまよったそうです。 両親… 続きを読む