亡き妻が教えてくれた「あの世は絶対にあるよ」 2014.07.05 Kさん(40代・男性) Tweet この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第230号より転載し、編集を加えたものです。 40歳の若さで亡くなった妻 数年前、5人の子供と私を残して、妻のHが40歳の若さで、がんで亡くなりました。もし信仰がなかったら、私は悲しみに暮れ、仕事も手につかなかったでしょう。 しかし、今、私は心に希望を抱いて生きていくことができます。それは、「人生はこの世限りではない」ということを確信しているからです。そして、あの世から見守ってくれている妻の存在を感じているからです。 妻の死を通して、私が感じ、学んだことをお話ししてみたいと思います。 突然の余命宣告 「お父さん、私、がんだって……」 ある春の日のこと、妻が不安そうな声で会社に電話してきました。 「最近、胸のあたりが苦しい」と体調不良を訴えていた妻が、病院で受けた検査の結果でした。病名は「スキルス性胃がん」。進行が早く、治療が難しいと言われている胃がんだそうです。 「すぐにでも入院して、手術しましょう。胃の3分の2を切除すれば、治癒の可能性もあります」 医師の強い勧めにしたがって、手術することになりました。ところが、手術が終わって医師に呼ばれると――。 「残念ですが、奥さまのがんは予想以上に進行し、周辺の臓器もすでにがんに侵されていました。胃は全体を摘出しましたが、すべてのがん細胞を取り除くことは不可能でした。余命は……あと、1カ月から半年です」 あまりのショックに言葉も出ません。 医師の説明を聞きながら、「どうして今まで気づいてやれなかったのか」と申し訳なさに涙があふれるばかりでした。 「生命は永遠」と知ってはいても…… 私たち夫婦は、幸福の科学の信者です。人間の本質は霊であり、死んで肉体が滅んでも、あの世に還って新たな生活が始まると学んでいます。 しかし、実際に妻の死が迫っていることを告げられると、私はすっかりうろたえてしまいました。 しっかりしなければ――。そう自分に言い聞かせて、妻の病室に向かいました。手術前、妻から「手術の結果は隠さずに伝えてほしい」と言われていたので、私は医師の説明を彼女に伝えました。 「気をしっかり持って頑張るんだぞ」と言いながら、自分が動転しています。 「お父さん、大丈夫よ。心配しないで。何があっても私は仏を信じているから。でも、あと4、5年は生きられるように頑張るからね」 妻は全く動じることなく、いつもの笑顔で、逆に私を励ましてくれました。病名を告げられてから、手術を受けるまでの間に、心の整理をし、覚悟を決めていたようです。 しかし、私にはとてもそのような不動心はありませんでした。 優しかった妻 妻は高校時代の同級生で、当時から付き合い始め、24歳の時に結婚しました。 私は運送会社の営業職で、朝から晩まで忙しく、結婚当初から家庭を顧みる余裕はありませんでした。 「もっと早く帰ってこれないの」と時々こぼしていた妻でしたが、幸福の科学の信仰に出会ってからは「お仕事、遅くまでおつかれさま」などと、ねぎらいの言葉をかけてくれるようになりました。 その変化に驚き、幸福の科学に興味を持った私は、妻の勧めで入信しました。そして、仕事で問題につきあたったときなどに、『常勝思考』や『仕事と愛』などで説かれている成功論や仕事論を実践し、少しずつ教えの素晴らしさを実感していきました。 しかし、今振り返ると、当時の私は、仕事のため、成功のために仏法真理を学んでいたようなもので、確かな信仰を持っているとはいえない心境でした。 一方、妻はもっと深いところで、仏の慈悲を感じていたのでしょう。信仰に出会ったことで、本当に強くて優しい女性になりました。 家庭では私や子供たちにいつも笑顔で接してくれ、「ありがとう」という感謝の言葉を絶やしません。 子供の母親同士の人間関係の中でも、何か揉め事が起きれば仲裁に入り、人のことは絶対に悪く言わず、いろいろな人に頼りにされていたようです。伝道にも熱心で、友人・知人に仏法真理の本をお勧めする手紙をよく書いていました。 自宅療養のため5月に家に戻ってからも、妻の優しさは全く変わりませんでした。「お父さん、身体大切にしてね」と毎日笑顔で送り出してくれる妻に、私も笑顔で応えました。 しかし、私の心の中は、数カ月のうちに妻を失うことになるかもしれないという不安と悲しみでいっぱいだったのです。 父の日の手紙 自宅療養が始まって1カ月ほど経った6月中旬の父の日のことです。 「これ、お父さんへの感謝の気持ち」と、妻が手紙をくれました。 「Kさんへ。いつも家族のために、お仕事頑張ってくれてありがとうございます。(中略)Kさんの優しさ、励ましに支えられて、今の私があると思います。Kさん、家族、幸福の科学の仲間たち、数多くの方々の愛に気づかせてくれた、仏の慈悲に深く感謝いたします。この生命を正しく全うし、来世でもまたKさんとご縁がありますように……」 涙で、手紙の文字がにじみます。あふれてくる涙を拭いながら、何度も何度も読み返しました。私は、手紙に込められた妻の強い信仰心に、改めて目を覚まされた思いでした。 妻は、心から仏を信じ、その信仰心の輝きで私や子供たち、そして身近な人たちを照らしていました。 自分の身を案じるより、周りの人たちの愛に感謝し、そして何より仏に感謝して、許される限りの生命を全うしようとしている……。 私は、妻を失うことを悲しんでばかりで、自分のことしか考えていませんでした。悲しんでばかりいるのは自分勝手なことだと気づき、私も仏を信じ、信仰を拠り所として、妻をあたたかく支えていこうと思えたとき、悲しみでいっぱいだった心に、一条の光が差し込んできたような気がしました。 それからの私は、悲しみや絶望にさいなまれそうになる自分の心を、仏に祈り、仏法真理を学ぶことで励ましながら、自宅療養を続ける妻を心身ともに支えていきました。 再入院 療養生活を送りながら、病状は徐々に悪化していきました。8月下旬になると、腹部の痛みや倦怠感でつらそうな顔をしていることが多くなりました。 そして9月に入ってすぐ、妻は耐えられない痛みに自宅で倒れ、救急車で運ばれて再入院することになったのです。 「再入院になったら、もう家には戻れません」と医師から言われていました。いよいよ最期のときが近づいてきたことを私は覚悟しました。 私は仕事の都合をつけながら、毎日のように妻の病室に足を運びました。 「お父さん、いつも、ありがとう」 私が行くと、妻は必ずやせた頬に微笑みを浮かべて声をかけてくれます。 夜中の付き添いにいけば、「少しでも眠ってね」と忙しい私の身を心配してくれました。激しい痛みと倦怠感で、人の身を気遣えるような状態ではないはずなのに……。 私も、悲しみをこらえながら、できるだけ明くふるまい、「少しでも楽になるように」と願いながら、幸福の科学の書籍を読んで聞かせたりしていました。 やがて衰弱が進み、妻は話すこともままならなくなっていきました。 入院して2週間が過ぎたある日の午後。いったん、会社に戻った私に病院から電話がかかってきました。 「すぐ病院に来てください」 急いで子どもたちを連れて病院にかけつけました。 医師や看護師に囲まれ、酸素マスクをつけられた妻が、目をつむってベッドに横たわっていました。 私と子供たちが妻の手を握ると、妻は少し薄目をあけて微笑んでくれました。子供たちは、皆泣いています。 「今まで世話ばかりかけてごめんな」 私が泣きながら謝ると、妻は微笑んだままゆっくりと首を横に振りました。 そして、震える手で酸素マスクをはずし、何かを言おうとするのです。 「子供たちのことが心配なのか?」 そうたずねると、妻は、「そうではない」というように、ゆっくりと首を横に振りました。 「あ・り・が・と・う」 声にはなりませんが、そう唇が動きました。その言葉を最後に、妻は穏やかな笑顔を浮かべたまま、静かに息を引き取りました。私たちは、ただただ泣くばかりでした。 妻からのメッセージ 帰天式(幸福の科学式の葬儀)には、700人もの方が参列してくださいました。いつも穏やかで、誰に対しても優しく接する妻には、多くの友人がいたようです。 私は、信仰深く生きた妻の思いを伝えようと、妻の友人たちに幸福の科学の教えを紹介していきました。しかし、そうして前向きに努力しているつもりでも、一人になると何とも言えない寂しさや自責の念が襲ってきます。 亡くなってちょうど30日目、納骨を済ませた日の明け方、まだ暗いうちにふと目を覚ますと、空色の服を着て、にこにこと笑っている妻の姿が見えました。 「H、今、どこにいるんだ?」 「天国の手前で、あの世について勉強しているところよ」 いつもの優しい笑顔で答えてくれました。 死後まもない霊は、霊界の入り口であの世について勉強してから、それぞれの心境にふさわしい世界に還ると、仏法真理では説かれています。 「H、やっぱりあの世は、本当にあるんだな」 「あるよ。絶対にあるよ」 「じゃあ、あと40年くらいたって、俺も無事、この世での人生を終えて、あの世に還ったときは、お前迎えに来てくれよな。そして、来世、生まれ変わるときには、また一緒になってくれよな」 「うん。約束よ」 そう言った妻の姿がすーっと消えていき、はっと気がつくと朝になっていました。 その後も、四十九日を迎えるまでに、何人もの親戚や友人の方から「Hさんと夢で会いました」「Hさんの声が聞こえました」と言われました。 肉体は死んでも、現実に魂は生き続けている。人間は、この世限りの存在ではなく、この世とあの世を転生輪廻しながら、魂を磨いている存在なのだと実感しました。 自分の死を見つめながら、信仰のもと最期まで強く生きた妻の姿。そして、あの世からのメッセージ。これらの経験を通して、私は少しずつ穏やかな心を取り戻していくことができたのです。 限りない感謝を込めて 妻が亡くなってから、私は、10人の方を幸福の科学の信仰に導くことができました。その中には、「Hさんの姿を見ていて、素晴らしい宗教なんだろうと思っていました」と言って入信された妻の友人もいます。 実は、再入院することになる前の晩、妻と私はこんな話をしていました。 「私、お父さんと一緒に、たくさんの人を仏のもとにお連れしたい」 「そうだな、一緒に伝道しよう」 死を目前にしてなお、妻の伝道への情熱はいっそう強くなっていたのです。この世では、もう二人で縁ある方を伝道することはできませんが、私の伝道を、妻があの世から応援してくれていると感じます。 悲しい出来事ですが、しかし、もし、妻の病気と死がなかったならば、今でも私は、心から仏を信じる喜びを知らずにいたでしょう。すべてを支えてくださっている仏の慈悲に、心から感謝いたします。 そして愛するHへ。今世、僕と一緒になってくれてありがとう。あなたが教えてくれた深い信仰と愛を胸に、これからも多くの方に仏の教えを伝え続けていきます。 この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第230号より転載し、編集を加えたものです。 スピリチュアル体験,夫婦・結婚,月刊「幸福の科学」,死・臨死体験 関連リンク 月刊「幸福の科学」 『超・絶対健康法』 『死んでから困らない生き方―スピリチュアル・ライフのすすめ』 同じテーマの記事 戦後70年 亡き戦友に捧げる祈り 2015.08.13 Jさん(80代・男性) この記事は隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第210号より転載し、編集を加えたものです。 雲の彼方に 「先に逝った戦友たちよ。今から俺も、そこに行くぞ」 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