20年以上前に離婚した夫を介護して 2013.10.19 Yさん(60代・女性) Tweet この記事は、隔月発刊の「ザ・伝道」第198号より転載し、編集を加えたものです。 突然の知らせ 「お母さん、親父が心筋梗塞で倒れてICUに入っちょるんよ。糖尿病で、足の指も2本もげて、太腿に腫瘍もできちょって……」 そう長男から電話があったのは、2011年10月のことでした。 主人とは、もう20年以上も前に離婚していましたが、病院から連絡を受けたという長男の話を聞いて、「かわいそうに……。一人でタクシーの運転手して、借金返して……」と、涙が出ました。 主人は、仕事上のトラブルで多額の借金をつくり、家屋敷も全部担保に取られて失職。 「お母さんを大切にしちゃってくれぇの」と子供たちに言い残して、家を出ていったのです。 その後、3人の子供も独立し、私は、生まれ育った山口県で、平穏に一人暮らしをしていました。 長男の運転する車で1時間以上。 私がICUに主人を見舞うと、主人は、「すまん、すまん」と手を合わせました。 ほどなく主人は心臓の手術を受けましたが、タクシーの運転手を続けるのは無理だと言われ、会社の寮も引き払うことになりました。 施設に入るお金もなく、主人は退院しても、行くあてもありません。 「本人に責任あるんじゃけ、のたれ死んでも、どうなっても、それはしょうがない。お母さんの血圧も心配だしの」 長男は私を気遣って、そう言ってくれました。 いろいろな思いもあったのでしょう。 けれども、私は、もともと主人のことが嫌いで離婚したわけではありません。 主人を引き取るべきか、とても迷いました。 血のつながりを超えて 人に優しくすること、見返りを求めずに愛を与えること――。 これは私が学んでいる幸福の科学の一番大切な教えです。 私は1992年に幸福の科学の信者となり、以来ずっと、教えを学び実践してきました。 実は私は、10年ほど前にも、義父を引き取り最期を看取った経験がありました。 義母に先立たれ、80歳を超えた義父を、独りにしておくのは忍びなかったのです。 もちろん、主人と離婚したあとのことです。 まわりからは、「お人好しすぎる」と言われましたが、幸福の科学で、「人は何度も何度も生まれ変わり、転生輪廻(てんしょうりんね)を繰り返している。夫婦や親子の縁も、決して偶然ではなく、過去世からのご縁である」と学んでいましたので、義父とも、血のつながりはなくても魂では深いご縁があると思ったのです。 私は、お世話になったご恩返しにと、「お義父さんも、信じてください」と幸福の科学の信仰を勧めると、義父は、入会をしました。 仏教系の学校を出ていた義父は、信者が拝受する『正心法語(しょうしんほうご)』の経文(きょうもん)を読むと、「これは本物のお釈迦様の教えじゃ。ありがたいのう」と、涙を流して喜びました。 義父は、『正心法語』を胸に、安らかに帰天したのです。 「心の針」を仏様に向けて 「今の私は、もし主人を引き取っても、神仏のみ心にかなうような慈悲の心でもって、主人に接することができるじゃろか……」 私は主人を引き取る自信がなく、幸福の科学の本を読んで答えをさがしました。 すると、『無我なる愛』という書籍に、「迷ったときには、自らに厳しい道を選びなさい」と書かれていました。 「一度は夫婦になったのも、天上界で約束したご縁。引き取らないで後悔するよりも、引き取って後悔したほうがいい……」 私は、主人を引き取る覚悟を決めました。 2012年1月。 退院して私の家にやってきた主人は、私がつくる食事は、「おいしい、おいしい」と言って何でも食べてくれ、体調が良い日には、杖をついて近所のスーパーで買い物もしてくれました。 4月には、年金を受け取りに、二人でいっしょに銀行に出かけました。 「毎年、桜がきれいな季節には、仲良く年金もらいに行こうね」 20年のブランクなど、まるで無かったかのように、私たちの間には、穏やかで幸福な時が流れていきました。 ただ、たびたび送られてくる、主人宛ての税金などの滞納通知書を目にすると、私の心は揺れ、責める思いが込み上げてきました。 「また、あんたは……。催促が来ても、どうせ放っておいたんじゃろ!」 私が鬼のような顔をして怒っても、主人はまるで仏様のように穏やかな表情で黙っています。 もともと主人はとても心優しい人なのです。 「いけん、いけん。これも修行じゃ。何があっても『心の針』は仏様のほうに向けておかんと……。それが幸福の科学の信者の証明じゃ」 私は、ハッとして反省し、すぐに心を治めました。 やっぱり、夫婦っていいもんじゃね 8月、太腿の腫瘍が悪化し、主人は再び入院しました。 足の指の傷や、腫瘍の手当をしてあげると、主人は、「ありがたい、ありがたい」と、むせぶように泣いて感謝してくれました。 「痛いとも、つらいとも言わんと、よう辛抱して……。あんたには何でも話せるし、やっぱり夫婦っていいもんじゃね」 主人を引き取って7カ月。 私たちは書類上も再び夫婦になりました。 主人の借金も何もかも、私が背負うことになるので不安はありましたが、入院や様々な手続きが面倒でしたし、いろいろな書類に「内縁の妻」と書くのにも抵抗があって、籍を戻したのです。 家族になった人間どうし 主人はいったん退院し、11月、再入院しました。 腫瘍は悪性でしたが、糖尿病や心臓病もあるため、手術はできないということでした。 12月の終わりごろ、甘いもの好きの主人が、ポツリと言いました。 「あん餅の焼いたのが食べたいのう」 年が明けた1月2日に、駅前に回転焼き屋が出ていたので、主人に買って持っていきました。 「あんたが食べるところが見たい。食べて見せてくれ」 言われるままに、私が半分食べて、残りを主人の口に入れてあげました。 主人は、おいしそうに食べました。 そして1月4日、主人の容体が急変。 夕方には、子供も孫も呼び寄せられ、家族が見守るなか、主人は静かに息を引き取ったのです。 20年間、いっしょに暮らすこともなかった子供たちでしたが、意外にも、長男が声をあげて泣き出しました。 すると、主人の目から、ツーッと一筋の涙が……。 縁あって、今世、家族になった人間どうし、やはり深いところで、いろいろな思いが行き交います。 仏法真理(ぶっぽうしんり)を学んで介護を経験し、それをしっかりとかみしめることができ、私は深い幸せを感じています。 葬儀の日、白い着物の胸に『正心法語』を入れて、穏やかな顔で棺に納まった主人に向かって、私は心のなかで語りかけました。 お父さん。私のところに戻ってくれてありがとね。 最後の1年間、お父さんと暮らせて、本当に幸せでした――。 自宅の食堂の椅子に、主人が座っていた座布団がそのままあるのを見ると、「もう少し一緒に暮らしたかった」と、さびしい気持ちにもなります。 けれど、私は「あの世はある」と信じています。 私は毎日、主人の写真に手を合わせ、「お父さん、ちゃんと天国に還ってね」と語りかけ、主人のために『正心法語』を読んで聞かせています。 この記事は、隔月発刊の「ザ・伝道」第198号より転載し、編集を加えたものです。 (原題:「お父さん、戻ってくれて、ありがとね」) 介護・福祉,夫婦・結婚,病気・事故,隔月「ザ・伝道」,離婚・再婚 関連リンク 正心法語 同じテーマの記事 人の苦しみには意味があると知って 2015.04.03 Hさん(30代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第226号より転載し、編集を加えたものです。 世の中はなんと不公平だろうと思っていた 中学生の頃からマザー・テレサの生き方に憧れていた私は、「将来は苦しんでいる人たちのお役に立… 続きを読む 同じテーマの記事 脳溢血で寝たきりになった夫を介護――生活不安を乗り越えて 2015.03.14 Nさん(70代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第243号より転載し、編集を加えたものです。 日系アメリカ人の夫との結婚を機にハワイへ 私は日系アメリカ人の夫と結婚し、それを機にハワイに移住。やがて2人の子宝に恵まれました。… 続きを読む 同じテーマの記事 医者として見出した、本当に人を救える医療 2014.12.26 Iさん(40代・男性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第221号より転載し、編集を加えたものです。 患者にとっての幸福とは? 「死とは何か、生命とは何かという探究なしに、医療はできないのではないか」 私がそう思うようになったのは、… 続きを読む 同じテーマの記事 「目が見えなくても、人生に光を見つけた」 2014.06.19 Aさん(20代・女性) この記事は隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第125号より転載し、編集を加えたものです。 見えることのない目 私は、生まれた時から目が見えません。 生まれつき目に障害があって、右目にわずかな光を感じるだけで、左目は何も見えませ… 続きを読む 同じテーマの記事 キリスト教、共産主義を経て幸福の科学に!聴覚障害、ろうあ者として生きて 2014.03.04 Kさん(50代・男性)、Nさん(20代・男性) この記事は、毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第254号より転載し、編集を加えたものです。 人生の問題集を乗り越えて 生まれつきの聴覚障害をもったKさん。ろうあ演劇で出会った青年・Nさんと、二人三脚で仏法真理を学んでいく… 続きを読む 同じテーマの記事 10年間、認知症の義母の介護を続けて 2013.11.07 Mさん(60代・女性) この記事は、隔月発刊の「ザ・伝道」第145号より転載し、編集を加えたものです。 なんで私がこんな目に――? この10年間、認知症の義母の介護をしながらも、私の頭からこの思いが完全に消え去ることはありませんでした。しかし… 続きを読む 同じテーマの記事 義父を介護する幸福な日々 2013.10.19 Yさん(50代・女性) この記事は、隔月発刊の「ザ・伝道」第198号より転載し、編集を加えたものです。 義父のお世話は私の仕事 私がY家に嫁いできた当時、義父は80歳を超えていました。 その数年前には心筋梗塞で倒れていたので、夫のHと私は、高齢… 続きを読む 同じテーマの記事 アル中の父親を許し介護した15年間 2013.10.19 Iさん(40代・女性) この記事は、隔月発刊の「ザ・伝道」第187号より転載し、編集を加えたものです。 アル中の父から虐待されて 「何べん言うたら、分かるんや!」 父はそう怒鳴ると、まだ小学生だった私の髪の毛をつかんで引きずり、さらに、背中を拳… 続きを読む 同じテーマの記事 母の介護を通してつかんだもの 2013.10.19 悦子さん(70代・女性) この記事は、隔月発刊の「ザ・伝道」第165号より転載し、編集を加えたものです。 「さぁ、好きなことしよう!」 今から十数年前、私が58歳の頃のことです。 当時、外資系企業の人事担当だった私は、オーストラリア人の上司に呼ば… 続きを読む