熟年離婚の危機を乗り越えて――信仰の道を歩んで夫婦円満に 2015.04.24 Cさん(60代・男性) Tweet この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第244号より転載し、編集を加えたものです。 「別れてしまえばすべて解決するのではないか」 私が教師として勤めていた職業訓練校を定年退職したころから、妻の態度がよそよそしくなってきました。 「おい、お茶」と言っても、反応がありません。その上、私に口ごたえしてきます。 私の運転する車で友人たちと九州に行こうという話になったときも、「もう歳なんだから、人様を乗せて運転するなんて危ないでしょ。だいたいあなたは、いつも強引なのよ」 「何だと!」 妻に欠点を指摘されるとカッとなって、手を上げてしまうこともしばしばでした。 口論の後は、2、3日間、口を利かないこともあります。 どうして妻の態度が変わってしまったのか分からず、いら立ちが募るばかり。 後になって、そのとき妻が「夫の定年を迎えて自分も一休みしたい」と思っていたことを知ったのですが、そのときはわかりません。 二人の仲がうまくいかないときは、「別れてしまえば、すべての問題が解決するのではないか」という思いが頭をよぎったこともありました。 妻への甘えを反省 私たち夫婦は二人とも、幸福の科学の仏法真理を学び、「家庭不和には悪霊の作用がある」と知っていました。 私は、妻に不平不満を言う前に自分の心を変えなければならないと腹を決め、妻が外出して一人になると、御本尊の前で反省を始めました。 今までの夫婦の歩みを振り返ると、自分のしてきたいろいろなことが浮かんできます。 たとえば、アマチュア無線に凝り、妻に相談もせずに自宅を改装したこと。地域や趣味の会の役の引き受けて、帰宅が遅くなったこと。 浮かんでくるのは、わがままで、妻への思いやりがなかった自分の姿ばかりです。 私はずっと妻に支えられてきたのに、自分は妻のために何一つやったことがなく、足りないところばかりを責めていました。心の奥に「妻は夫に従うべき。不平不満を言ったって、何とかなる」という妻への甘えがあったのです。 ある日、帰宅して食事の準備を始めた妻に、思い切って声をかけました。 「今までわがままで、迷惑かけてごめんな」 プライドが高かった私にとって、自分から謝るのは勇気が要りました。 最初は反応がなかった妻も、私が皿を洗ったり、洗濯物をたたんだりと、妻へのお詫びと感謝を形にして表していくと、次第に笑顔が増えていきました。 新しい支部の手伝いが共通の話題に そんな折、新しい支部ができることになりました。 「新しい支部のお手伝いにいこうか」 「そうですね。私達にできることをさせていただきましょう」 私の心が変わったからでしょうか。それまで活動にあまり熱心でなかった妻から、前向きな返事が返ってきました。 機械に強い私は音響機器の設定に、妻は整理整頓や掃除に一生懸命に取り組みました。ボランティアを終えると、「仏のお役に立てた」というすがすがしい気持ちがわいてきます。 「今日はありがとうございます。お二人のおかげで、みなさんが気持ちよく行事に参加できますよ。またお願いしますね」 支部長にそう声をかけられ、妻も、支部に行くことが楽しみになったようです。 「お父さん、今度はいつ支部のお手伝いに行きましょうか?」 「初めて来る人たちにも、安心して集まってもらえる支部にしたいな」 夫婦の話題の中心は、支部のボランティアのことになりました。一緒に「与える愛」の活動をはじめたことで、夫婦の足並みが揃い、家庭に穏やかな空気が流れ始めました。 二人の気持ちがもっと近づいた布教所の開設 私の自宅でも布教所の開設をお許しいただくことができました。 地域の人や趣味の集いで出会った友人を誘って、大川総裁の法話ビデオを視聴する会を行ったり、悩み相談にのっています。 布教所を開設して、二人の気持ちがもっと近づきました。「地域の人たちにも、幸せを伝えていこう」という共通の願いを持てるようになったからだと思います。 「となりの○○さんには、どの書籍をおススメしようか」といった話し合いをするようになり、けんかをしているヒマなどありません。 これからも、夫婦二人で地域の人たちに仏法真理を伝えていきます。 この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第244号より転載し、編集を加えたものです。 シニア・老後,夫婦・結婚,月刊「幸福の科学」 関連リンク 幸福の科学機関誌 月刊「幸福の科学」 『アイム・ファイン―自分らしくさわやかに生きる7つのステップ』 『幸福へのヒント』 同じテーマの記事 戦後70年 亡き戦友に捧げる祈り 2015.08.13 Jさん(80代・男性) この記事は隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第210号より転載し、編集を加えたものです。 雲の彼方に 「先に逝った戦友たちよ。今から俺も、そこに行くぞ」 1945年7月25日。当時19歳だった私は、「隼(はやぶさ)」の愛称を持… 続きを読む 同じテーマの記事 戦後70年、ようやく届けられた亡き戦友への供養の心 2015.07.23 Yさん(90代・男性) この記事は隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第204号より転載し、編集を加えたものです。 先の大戦は日本の侵略戦争ではない 先の大戦で、私たちは、戦友とともに陸軍兵士として命をかけて戦いましたが、戦後、「あれは日本の侵略戦争だ… 続きを読む 同じテーマの記事 沖縄戦という悲しみの記憶を乗り越えて 2015.04.11 Hさん(70代・女性) 終戦を迎えても夢でうなされる母 大東亜戦争末期の日本は、本土防衛の最後の拠点を沖縄としました。そのころ、アメリカ軍が沖縄に迫っていたのです。父は、島民たちに島の北部へ逃げるよう指示。母は、当時まだ赤ちゃんだった私を背負っ… 続きを読む 同じテーマの記事 脳溢血で寝たきりになった夫を介護――生活不安を乗り越えて 2015.03.14 Nさん(70代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第243号より転載し、編集を加えたものです。 日系アメリカ人の夫との結婚を機にハワイへ 私は日系アメリカ人の夫と結婚し、それを機にハワイに移住。やがて2人の子宝に恵まれました。… 続きを読む 同じテーマの記事 本物の真理を知って見つけた生きがい 2015.01.23 Nさん(80代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第223号より転載し、編集を加えたものです。 求め続けていた本物の信仰との出会い いまから30年ほど前、主人が亡くなったのをきっかけに、私は法華経系の伝統宗教の信仰を持つように… 続きを読む 同じテーマの記事 齢(よわい)100歳を迎えて、仏の教えを杖となし 2014.07.20 Oさん(100歳代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第261号より転載し、編集を加えたものです。 86歳からの再出発 明治、大正、昭和、平成。御世(みよ)を四代重ねてまいりましたが、まさか86歳になってから新たな人生を歩み始める… 続きを読む 同じテーマの記事 53歳にして人生観が転換!孤独な職人から副工場長へ 2014.07.04 Hさん(70代・男性) この記事は隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第149号より転載し、編集を加えたものです。 勤務先の倒産 「今月で店をたたむことになった。Hさんにも辞めてもらわないと……」 10年以上前のことです。勤めていた老舗(しにせ)和菓子… 続きを読む 同じテーマの記事 母の介護を通してつかんだもの 2013.10.19 悦子さん(70代・女性) この記事は、隔月発刊の「ザ・伝道」第165号より転載し、編集を加えたものです。 「さぁ、好きなことしよう!」 今から十数年前、私が58歳の頃のことです。 当時、外資系企業の人事担当だった私は、オーストラリア人の上司に呼ば… 続きを読む 同じテーマの記事 意志の力で現実を変えていける! 2013.01.31 かずえさん(50代・女性・群馬県) 大川隆法総裁の法話「晩年成功法」を礼拝堂で拝聴させていただき、終始、未来への希望や「まだまだこれからなんだ」というパワーを強く感じました。(※2013年1月27日(日)総本山・正心館にて開催/参考書籍:『生涯現役人生』)… 続きを読む 同じテーマの記事 総裁先生のお姿に元気をいただきました 2013.01.30 みさこさん(80代・女性・神奈川県) 大川隆法総裁先生の御法話「晩年成功法」(※2013年1月27日(日)総本山・正心館にて開催/参考書籍:『生涯現役人生』)を直接拝聴しました。 大川隆法総裁先生は、若くて素敵ですね。 もう幸福の科学の会員歴は30年近くにな… 続きを読む 同じテーマの記事 『生涯現役人生』が日本を救う! 2013.01.30 雷人悟郎さん(30代・男性・東京都) 大川隆法総裁先生の御法話「晩年成功法」(2013年1月27日(日)総本山・正心館にて開催/参考書籍:『生涯現役人生』)を本会場にて拝聴させていただきました。 御法話の内容や、会場の雰囲気が非常によく、元気とやる気と勇気を… 続きを読む 同じテーマの記事 「自家発電の力と実践力」をつける決意 2013.01.29 ひよちゃんさん(50代・女性) 今日は本会場で大川隆法総裁先生の講演「晩年成功法」と質疑応答に参加させていただきました。(2013年1月27日(日)総本山・正心館にて開催/参考書籍:『生涯現役人生』) 私は今、大川隆法総裁先生と同じ56歳です。 これか… 続きを読む