失明した私でも、努力で道が開ける! 2015.05.29 Sさん(30代・男性) Tweet この記事は隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第113号より転載し、編集を加えたものです。 家業を継ぐ夢 私はみかん専業農家の長男として生まれました。 幼い頃の私には、果樹園は恰好の遊び場でした。小学生の頃、木登りに夢中になりました。 木に登れば登るほど高くなってしまう空や、遠く有明の海から吹いてくる風の気持ちよさ、どこまでも広がる景色に吸い込まれ小さくなっていく自分──。 自然の底知れぬ大きさを感じ、中学生の頃には、「将来、立派な果樹栽培者になるけん!」と決意し、自ら進んで農業高校に進学しました。 1年生のときに、弁論大会で農業の今後の展望と自分の夢について語り、県の最優秀賞を受賞。先生方も私の意欲を買って、いろいろと応援してくれました。 すべてが順調のはずでした。 運命の一日 高校2年の秋の日。夕方、急に黒板の字がぼやけてきて、よく見えなくなりました。 「よう見えん。今朝は普通に見えとったのに」 それまで両目とも2.0あった私は、近眼とはこんなに早く進むものなのかと驚き、町医者で診てもらいました。 「視力検査の結果は、左目が0.01、右目が0.9ですね」 翌日、私は学校を休み、紹介された熊本市内の国立病院に行きました。 「視力は低下していますが、視神経の病気の場合、片目にきても両目とも悪くなることは少ないですから大丈夫でしょう」 それからは、検査のために毎日通院することになりました。目に痛みもなく、はじめはそんなに深刻な病気だとは思っていませんでした。 ところが、日に日に信号の色が分からなくなり、通院の道のりが怖くなってきました。 「こんまま、見えんようになると?」 大丈夫だと言われていた右目までどんどん視力が低下。2週間後には、急遽、大学病院に入院することになりました。 やるせない日々 入院中は、検査と集中治療の毎日。視力は浮き沈みを繰り返しました。 入院から1カ月、ついに視力がゼロまで落ちました。心配した親戚や友人がお見舞いに来てくれましたが、私には誰が来たのかもよく分かりません。 「Sの父さんと母さん、仕事も手につかんばい」 「担任が、Sの病気を聞いて一晩泣いたげな」 「この子、親の顔も分からんようになってしもうて……」 両親は相当ショックだったようです。でも、私にはどうすることもできません。 「オレ、みかんつくりになるけん」と言ったときの父の嬉しそうな顔が、何度も、何度も頭に浮かびました。 約7カ月後、なんとか視野の外側がわずかに見えるようになったものの、それ以上の治療効果は見込めず、退院して自宅療養することになりました。 体は悪くないのに、することがないので、一日中寝ているような日々が続きました。ものが見えず、食事も、電話をかけるのさえも一人では満足にできません。家にこもって鬱々としている間に、どんどん時間は流れていきました。 ある日、私は急にみかん山が見たくなり、久しぶりに果樹園に行きました。 12月の厳しい寒さに耐え、収穫間際の果実をたわわに実らせた甘夏の木が、私のわずかに残った視界に映りました。 「あ、風──。小さか頃ば思い出すなあ」 いつも木登りしては感じていた懐かしい感触。かつて自然の大きさに打たれ、「将来、立派な果樹栽培者になる」と誓ったことを思い出しました。 「自分も、いい加減、何かせんばいかん」 そう決意した夜のことです。 「なあS。盲学校に行ってみんか」 「盲学校──。こんな自分にも行けるところがあるとね」 父の言葉にハッとしました。 発病して、先のことなど何も考えられなくなっていた自分。ようやく私は、まだ高校生活が途中だったことを思い出したのです。 新しい生活 私は、4月から2年遅れで盲学校の2年生に転入しました。 盲学校とはどんな感じなのか不安でしたが、読み書きできる生徒もいれば、好きな歌手の話をしたり、走り回れる生徒もいました。 「前の学校とあんま変わらん……」 私は、視覚以外の感覚器官で補うことを覚えていきました。道を渡るのに、人に合わせて渡ることや、情報の整理の仕方、点字図書館やパソコンの音声案内……ものすごく世界が広がった気がしました。 やがて親しい友人もでき、休み時間などによく話をするようになりました。 ある日、友人が『神霊界入門※』という本を持ってきました。 「今日は、この本を読んであげるね」 自分で本が読めない私は、比較的見えるその子に読み聞かせてもらえる時間が楽しみでした。 生まれ変わりのことや、天国や地獄について……。不思議な話が次々と出てきて、「へえ、あの世って、そうなるとや」と感心しながら聞きました。 それから、私たちの休み時間は読書が恒例となったのです。 ※室町末期の女性、小桜姫の霊言。現在、『大川隆法霊言全集』第26巻、第27巻に所収。 新たな希望 『神霊界入門』の次は『太陽の法』という本でした。 仏とは何か、大宇宙の構造、守護・指導霊の存在……。 『太陽の法』に書かれていたことは、初めて聞く話ばかりで、私は休み時間が待ち遠しくてなりませんでした。しかし、まもなく夏休みに入って中断。 どうしても続きを知りたかった私は、自分で『太陽の法』を買って、家族に読んでもらいました。 「人間は、生きてゆく過程において、さまざまな困難にぶつかります。つまり、そうしたなかで、魂の修行をしていくわけです。これは、あらかじめ計画されていることです」 「魂にとっての修行」という教えに衝撃を受けました。 「──目のことを自分で計画してきたかは、分からんと。ばってん、見えんなかでもできる努力はあるとよ……」 それからしばらくして、また弁論大会があり、私は再び出場しました。 「私は、日本一の果樹栽培者を目指す途中で失明し、一時は無気力になりました。だけど、盲学校という新たな道に進み、そこでできる努力があると気づきました。いま、点字という手段を身につけようとしていて大変だけど、『ここから将来が開ける』と思うと、日々が充実しています……」 将来の夢、挫折、そして立ち直り――。 自分の気持ちを正直に語った弁論は、大きな反響があり、全国で最優秀賞を受賞しました。 不思議な縁 高校卒業後、そのまま鍼灸・マッサージの資格をとる専門課程で3年間学び、無事、点字で鍼灸の国家資格を取りました。さらに技術を訓練したいと思い、全寮制の鍼の研究機関のある東京に出ました。 寮生活にもなじみ始めた頃、私より1つ年上の研究生から声をかけられました。 「『太陽の法』っていう本のテープがあるんだけど、とってもためになるから聴いてみる?」 「知ってる!それって幸福の科学でしょ?」 「そう、これ、ボランティアの方が吹き込んでくれたんだ」 遠く故郷を離れた東京の地で、まったく別の人から『太陽の法』を勧められるとは思いもよらず、不思議な縁を感じました。 私は、早速借りてきたテープを聴きました。 すると、初めて『太陽の法』を読んでもらったときの感動がよみがえってきます。 「この教えをもっと学びたい!」 いてもたってもいられなくなり、支部に連れていってもらいました。そして、幸福の科学に入信したのです。 それから、大川隆法総裁の講演会のビデオやテープで仏法真理を熱心に学びました。 「肉体に障害があっても、魂は健全である」「睡眠中には魂が肉体を抜け出して霊界に還っている」というお話を聞いたときには、納得するものがありました。 「夢のなかではちゃんと景色や相手の顔が見えてる……。やっぱり、魂が本質っていうのはほんとうなんだ!」 真理への確信を深め、私は幸福の科学の青年部で活動するようになりました。また点訳のボランティアの方のご好意を受け、点字を使って、私と同じように目の悪い方にも仏法真理を伝えるお手伝いを始めました。 その後、私は青年部で一緒に活動していた女性と結婚し、クイックマッサージのお店に就職しました。 未来のために種をまく 会社勤めには、初めのうちは戸惑うことが多くありました。 職人肌の父親の影響もあってか、ひたすら鍼の腕を磨くことに専念してきた私は、人と協力して仕事を進めるのが苦手でした。 社長からは、「あなたは鍼の技術にこだわりすぎて、考え方も狭い。鍼の技術だけに依存しなくなったら、もっと素晴らしくなると思うよ」と指導されました。 それは視力以前の問題です。 周囲の人との協調が苦手な原因を反省すると、「結果を早く出したい」という気持ちが人一倍強いことに気づきました。 目が見えないと、人の何倍も時間がかかることが多く、なかなか結果を出すことができません。それが焦りにつながり、自分のことばかり考えてしまうようになったのだと気づきました。 「治療には、いろんな手段や方法、患者さんの立場だってあるのに、いつの間にか自分本位の治療をしてきた──」 大川隆法総裁のテープを聴いていて、転生輪廻の思想にふれたとき、思いました。 「今世の生き方が来世を決める……。そうだ、今は、来世への種まきでもあるんだ。結果がすぐに出なくも、努力が無駄になることはないんだ」 そう思って淡々と努力するうちに、結果を焦る気持ちもおさまっていきました。 仲間の優しさが身にしみて 努力が認められたのか、やがて店長を任されるようになりました。しかし、この時期は仕事も家庭も大変でした。 マッサージの技術も磨き、関連店舗、3店の各スタッフに技術指導をする多忙な日々。 一方、家庭では、長男が誕生。私への手助けと育児で相当負担をかけていた妻は、精神的に参ってしまいました。 しかし、辛かったこの時期に身にしみたのは、「できることがあったらするから、何でも言ってね」と気軽に声をかけてくれる仲間のありがたさでした。 私は、目が見えない分、人の手を借りずにがんばろうと努力してきたつもりです。でも、多くの方々に支えられていることに気づき、人の優しさは素直に感謝の思いで受け、その分、自分もお返ししていけばいいと思ったのです。 「これが、幸福の科学で教えられている、愛を与え合うことの素晴らしさなのだ」と、胸が熱くなりました。 「私も後進への指導を通してお役に立ちたい」「癒しを求めている方をサポートしたい」という思いが強くなっていきました。 夢の実現に向けて 社員の育成が軌道に乗りはじめた頃、もっとマネジメント能力を磨かなければいけないと考えた私は、総本山・未来館の研修を受けに行きました。 研修で心を見つめていくうちに、私はその場その場で人を立てようとするあまりに指導が甘くなったり、時間にルーズになりがちなことを反省しました。 また、管理職として真に部下を生かすための厳しさや、患者さん自身の立ち直る力を信じる心など、大事なことを、一つ、また一つと気づかせていただきました。 「完全な人はいない」と学んでいるけど、それは、「これから素晴らしくなる可能性がある」ということでもある。自分が関わり合いをもつことで、何かしらの手助けをしたい、それらすべてが治療なんだ。そう実感しました。 研修後、しばらくして盲学校から、校外臨床実習の生徒を受け入れることになりました。 「治療家として、しっかりとした技術を身につけることは、第一ですが、患者さんの立場に立った治療をするためには、自分のなかに“心の柱”を持つことがとても大切です」と語りました。 「心に柱をつくるには自分を見つめることが大切です。そして、努力が心の柱をゆるぎないものにし、これから出会う人々との関わりを支える力になるんですよ」 施術の指導をしながら、心構えについて話すと生徒たちもやる気が出てくるのが分かりました。 最終日。生徒から今後の抱負を聞きました。 「治療家としての心構えや患者さんに接する心など、どれだけできるか分かりませんが、S先生の優しい手に少しでも近づけるようがんばります」 生徒たちが着実に成長する姿が嬉しくてなりませんでした。 実習後、学校から「生徒たちが、人が変わったようになって帰ってきました。どういう取り組みをしてくださったのですか」という問い合わせがきました。 そこから話が進み、学校に講義をしにいくことに。 あるとき、雑誌の記事で紹介されたのをきっかけに、自社でも社外向けに講習会を開くことになりました。 ハンディもプラスとしてとらえられる 私は、今、明るい未来を確信しています。目が見えなくても、理想を描くことはできますし、実現のための努力もできます。 人一倍の努力は必要かもしれません。でも、努力が無駄にならないと知って、どれだけ自分の魂を成長させることができるかを考えたら、ハンディもプラスとしてとらえられるようになりました。 大川総裁、ほんとうにありがとうございます。これからも、自分にできるかぎりのお返しの人生を歩んでいきます。 この記事は隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第113号より転載し、編集を加えたものです。 逆境・スランプ,隔月「ザ・伝道」 関連リンク 幸福の科学機関誌 隔月「ザ・伝道」 『太陽の法』 『永遠の法』 同じテーマの記事 東大合格!――慢心を捨て勉強に励むことができた 2015.07.25 Dさん(20代・男性) この記事は毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第22号より転載し、編集を加えたものです。 現役合格は間違いなしとみんなが思っていたのに 「やっぱり、ない……」 何度見ても、私の受験番号はありません。私はショックで頭の中が真… 続きを読む 同じテーマの記事 倒産からの復活――新しく立ち上げた会社で売上げ倍増 2015.07.04 Wさん(50代・男性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第239号より転載し、編集を加えたものです。 「これで、倒産だ」 2001年のはじめ、私は一大決心して起業を決意しました。 そして、折からのエコロジーブームに乗り、環境保全機器… 続きを読む 同じテーマの記事 受験失敗を乗り越えて――不動心で孤独に打ち勝ち勉強に打ち込めた 2015.03.13 Oさん(10代・男性) この記事は毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第37号より転載し、編集を加えたものです。 志望校に合格できず浪人が決まる 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