いじめに負けない! 幸福の科学の教えを信じて耐え抜いた娘 2013.11.30 Tママ(女性) Tweet この記事は、月刊「ヘルメス・エンゼルズ」第133号より転載し、編集を加えたものです。 駅の駐輪場での出来事 娘のTがいじめに遭っていると私が知ったのは、最初のいじめがあってから半年も経った頃でした。その間、娘は一人でいじめに耐えていました。 いじめは、5年生になってすぐに始まったようです。その日Tは、新しくクラスメートになったYさんから「今日、一緒に帰らない?」と誘われ、喜んで一緒に帰りました。しかし、学校近くの駅の駐輪場まで来たときです。突然、Tの頬にその子のビンタがとんできたのです。驚きのあまり、何が起こったか理解できないTは、気が動転したまま、「私、塾があるから」と言って家に向かって走り出しました。 「あらT、頬が赤いわね。どうしたの?」 事情を知らずに問いかける私に、「何でもない」と言って、Tは部屋にこもってしまいました。突然の暴力に混乱して何も考えられなくなり、「何で……何で……」と、心の中でくり返していたそうです。 教室を舞う自由帳 最初に受けた暴力の衝撃は、5年生の娘には、あまりにも大きなものでした。Tは、ぎこちなくYさんを避けながら、学校生活を送っていました。 そんなある日の休み時間、クラスのリーダー格のFさんがやってきて、ひょいっとTの自由帳を取り上げました。「返して!」と手を伸ばしますが、Fさんは「はい、パース!」と言って、別の女の子に自由帳を投げ渡します。Fさんと女の子の間で、自由帳の投げ合いが続きます。 「なんでそんなことするのよ!」 泣きながら怒るTを、2人はいじわるく笑って見ていたそうです。 机の上の物がなくなる Fさんは、クラスでも目立つ女の子で、いつもリーダーシップを発揮し、担任にも信頼されていました。しかし、先生たちに隠れたところで、いじめのボスとしても君臨していたのです。Yさんの突然のビンタも、実はFさんに言われてやったことでした。 自由帳の一件以来、たびたびTの机の上の物がなくなるようになりました。次の授業のために用意しておいた教材や、プリント、給食袋などが、これから使おうというときになると、なくなっています。そして、帰ろうとすると、Fさんたちから投げ返されるのです。 物隠しのいじめは次第にエスカレートし、やがて毎日くり返されるようになりました。しかし、家では何事もないように明るくふるまっている娘の姿に、私は、追い詰められていくTの気持ちを察してやることができませんでした。 信仰心と、友だちと いじめを受け続けるTのストレスは、どんどん大きくなっていました。Fさんの顔を見るたびにビクビクしてしまう娘。授業中、音読で当てられると、以前はすらすらと読めていたのに、何度も言葉に詰まります。注意力も散漫になって、本人も不思議に思うくらい宿題を忘れるようになりました。 「毎日がつらい。くやしい。このまま、いじめはなくならないかもしれない……」 いじめのことで頭がいっぱいで、心も押し潰されそうな日々の中で、自殺の衝動に駆られることが何度かあったようです。 しかし、そのたびに、「ダメダメ。幸福の科学では、自殺をしてはいけないと教えてもらっている。自殺は絶対にダメ!」と、自分に言い聞かせたそうです。幼い頃から娘の中で育まれてきた信仰心が、娘の心と命を守り続けてくれていたのです。 また、幸いなことに、Tを励ましてくれる友だちも3人いました。3人とも、Fさんが怖いので、正面きっていじめを止めに入ることはできませんでしたが、「ゴミ箱に捨てられてたTのプリント、急いで拾っておいたよ」「盗られた図書カード、見つけて元に戻しておいたからね」と、陰でTを支えてくれていました。 そんな日々が、1学期の間中続いたそうです。 「私、いじめられてます!」 2学期になっても、Tへのいじめは続きました。とうとうがまんできなくなったTは、ホームルームの時間に、みんなに聞こえるような大きな声で言いました。 「私、いじめられてます!」 それは、がまん強いTが、ようやく担任に向かって発信できたSOSでした。しかし、担任は、まるで尋問のような厳しい口調で、あれこれとTに聞いた後、「お前にも悪いところがあるんじゃないのか」と娘だけを責めて、話を終わらせてしまいました。そのときの担任の態度は、娘の心に深い傷となって残りました。 塾の先生からの連絡 やがて、Tの通う塾の先生からの電話で、私は事実を知ることになりました。 「Tさんと仲良しの子から聞いたのですが、Tさんは、学校でひどいいじめに遭っているそうです。」 「え、娘がですか!?」 正直、予想もしなかったことでした。学校から帰った娘に「あなた、いじめられてたの!?」 と問いただすと、ようやく娘は話してくれました。 「何で黙っていたの」 「お父さんやお母さんに告げ口したとわかったら、もっとひどいいじめに遭う気がしたから……」 私は、今まで一人で耐えてきた娘の小さな手を、強く握りしめました。 「大丈夫だからね。お母さんが必ず何とかするからね」 担任の本音 私はすぐに、幸福の科学で一緒に仏法真理を学んでいる先輩ママに相談しました。すると、「Tちゃんが悪いわけじゃないわよ! Tちゃんは、善悪をきちんとわきまえて、悪いことには絶対に手を貸さないでしょ。いじめのボスのような子にとっては、いちばん煙たい存在かもしれないわね」と言って励ましてくれました。 また、もうひとり親身に相談に乗ってくれる幸福の科学の友人がいて、「担任の先生に話しをしましょう。私も一緒に行ってあげるから」と言ってくれました。 私は、彼女とふたりで学校へ行き、担任に会っていじめの事実を訴えました。しかし……。 「そうは言ってもですね、Fさんはうちのクラスのリーダーで、教室をうまくまとめていくための中心的な役割のお子さんでして……。証拠もなしに彼女の親御さんにどうこう言うことはできませんね」 これが担任の本音なのかと落胆しました。結局、苦しんでいる娘の気持ちなど何も考えず、自分のクラス運営の都合だけしか考えていないのです。私は、家族で何とかするしかないと決意しました。 仏の教えを信じて 私は、娘にいろいろないじめ撃退のアドバイスをしました。 「机の上に出しておいた物を盗られるようだから、いつも引き出しにきちんとしまっておこうね」 「授業中は、校長先生がいつでも横に立っているつもりで、背筋をピンと伸ばしていなさい。凛とした空気を出していれば、いじめを寄せ付けなくなるから」 こうした工夫が効いたのか、物隠しが少しずつ減ってきました。しかし、半年以上に及ぶいじめで深く傷ついていた娘は、まだビクビクしながら毎日を送っていました。 その間、Tの心の支えになったのは、幸福の科学の精舎での子ども向け研修や、支部での『ヘルメス・エンゼルズ』(幸福の科学の子ども向けの機関̪誌)学習会でした。幸福の科学の仲間とともに行事に参加するたびに、Tの元気が少しずつよみがえってきます。 「今は苦しくても、きっと幸せな未来がくる」 Tは、仏の教えを信じて耐え続けました。そして、家族の顔、仲良しの友だちの顔、いじめるFさんたちの顔を思い浮かべながら、「どうか、みんなにとって幸せな未来がきますように」と、祈り続けました。 パリッとしたスーツで ある日、私はPTAの友だちから、「Fさんは、どうやら大人に弱いらしい」という話を聞いて、妙案が浮かびました。 「お父さん、明日の参観日にはあなたが行ってください。パリッとしたスーツできめて、ニコリともしないで教室の後ろに立っていてください」 言葉通り仁王立ちしていた主人は、参観が終わるや否や、教室の狭い机の間を進み出て、Tの横に立つと、力強くニッコリと笑いました。主人の迫力ある姿の効果は大きかったようで、参観の後、Fさんが小さな声で、「あれ、Tのお父さん?」とたずねてきたそうです。 学校がいじめ問題解決に乗り出す 様々ないじめ対策が功を奏して、秋も終わる頃、ついにTへのいじめはなくなりました。しかし、次には、Tを支えてくれた友だちのYちゃんがいじめの標的にされてしまいました。彼女は、すぐに親に相談したらしく、いじめが始まって間もなく、授業の最中にご両親が揃って学校へ来ました。 「あそこの両親の迫力に、Fさんもビビって、その日からYちゃんへのいじめをやめたよ」 また同じ頃、男の子のいじめグループのボスが、クラスメートの耳を殴ってけがをさせました。親御さんは、担任ではらちが明かないからと、直接校長先生に告発しました。そして、とうとう学校が、いじめ問題解決に乗り出したのです。 校長先生と教頭先生は、授業中も休み時間も、率先して校内を見回ってくれるようになりました。いじめをした児童への直接の指導も行われました。もともと、大人の前では「いい子」でふるまっていたFさんも、いじめ行為の数々を先生方に知られ、おとなしくなったようです。 5年の担任は、通常なら6年進級時も持ち上がりますが、いじめを放置したこの先生は担任を外され、赴任してきてわずか1年で、また他校へ異動になりました。代わって6年の担任になった先生は、いじめや悪い生活態度に対しては毅然と注意してくれる先生でした。こうして、ついにクラスの中のいじめはなくなりました。 いじめ問題をうやむやにせず、しっかりと対応してくれた学校には、今でも感謝しています。 仏法真理を学んでいてよかった いま、元気に中学へ通うTが、5年生のときをふり返ってこう言います。 「あの頃は、ハッピーエンドが来るなんて信じられなかった。でも、6年生の終わりには、『いじめてごめんね』と言いにきてくれた子もいて、うれしかった。仏法真理を学んでいなかったら、いまの私はいなかったと思う」 信仰の力で、娘は苦しみに耐え、いじめを乗り越えて幸せな今をつかむことができました。 この記事は、月刊「ヘルメス・エンゼルズ」第133号より転載し、編集を加えたものです。 いじめ・不登校,月刊「ヘルメス・エンゼルス」,自殺・鬱(ウツ),逆境・スランプ 関連リンク 幸福の科学 精舎 幸福の科学 支部 同じテーマの記事 ご近所づきあいに負けず、娘のいじめを円満解決 2016.03.22 この記事は毎月発刊の機関誌「ヘルメス・エンゼルズ」第144号より転載し、編集を加えたものです。 娘(F)からの告白 長女のFが小学校2年生になってしばらく経った頃、毎日一緒に学校に通っているお隣のA子ちゃんとの関係がうま… 続きを読む 同じテーマの記事 いじめを完全解決に導いた「悪霊撃退祈願」 2015.07.17 Hさん(20代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第40号より転載し、編集を加えたものです。 いじめグループのいる重苦しい教室 私が中学2年の時のことでした。女子生徒の間で、ターゲットが次々と変わっていく陰湿ないじめが始まり、… 続きを読む 同じテーマの記事 息子を支えた「ネバー・マインド」(幸福の科学の不登校児支援スクール) 2014.11.07 Tさん(30代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第255号より転載し、編集を加えたものです。 不登校児支援スクール「ネバー・マインド」 幸福の科学では、不登校の親子を支援するため、フリースクール「ネバー・マインド」を開設して… 続きを読む 同じテーマの記事 高校生のいじめを親と教師で解決 2014.07.02 Sさん(40代・男性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第242号より転載し、編集を加えたものです。 長男の心の叫び 数年前のある日曜日。居間でくつろいでいると、「お父さん、ちょっと相談が……」と高校1年の長男が来ました。顔には精気… 続きを読む 同じテーマの記事 いじめを乗り越えて 2014.05.16 Iさん(10代・女性) 中学・高校時代にいじめを経験しました。 私の通う学校は荒れていて、強い女の子から目をつけられた私はいじめられるようになり、知らない子からも「死ね」と言われていました。 そのころの私はネガティブで人としゃべられなくなってい… 続きを読む 同じテーマの記事 不登校だった僕がクラスのリーダーに! 2014.04.30 (幸福の科学学園・関西校 中学2年生男子) この記事は、毎月発刊の機関誌「ヘルメス・エンゼルズ」第218号より転載し、編集を加えたものです。 以前通っていた中学校の雰囲気が合わず、中1の時、学校に行けなくなってしまいました。 でも、「幸福の科学学園でなら変われるか… 続きを読む 同じテーマの記事 NEVER GIVE UPの精神が私を成長させた! 2013.12.20 Kanaさん(20代・女性) この記事は、毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第121号より転載し、編集を加えたものです。 最初のアメリカ留学でまさかの事態に 私が初めて留学をしたのは、高校2年生の8月のことです。約1年間、アメリカ・ウィスコンシン州… 続きを読む 同じテーマの記事 いじめ、不登校、非行……私が立ち直るまで 2013.11.30 Mさん(20代・女性) この記事は、隔月発刊の「ザ・伝道」第120号より転載し、編集を加えたものです。 私はいま一児の母です。10代のとき、私は不登校や非行など荒れた生活をしていました。そんな私が、立ち直ることができたのは、仏法真理と家族の励… 続きを読む 同じテーマの記事 不登校の経験は、かけがえのない宝物。 2013.10.08 Yさん(10代・女性) この記事は、毎月発刊の「ヤング・ブッダ」第19号より転載し、編集を加えたものです。 みんなの前で叱られたショック 「何で宿題をやってこなかったの」 小学5年の2学期の初めごろ、私は夏休みの宿題を出せず、クラスのみんなの前… 続きを読む 同じテーマの記事 娘の不登校の危機を乗り越えた体験談 2013.10.03 Sunさん(女性) この記事は、毎月発刊の「ヘルメス・エンゼルズ」第117号より転載し、編集を加えたものです。 「学校に行きたくない」「行きたくても行けない」――。 もしも、わが子がある日突然、不登校になってしまったら……。 今回は、子ども… 続きを読む 同じテーマの記事 「いじめ」をなくすキーワード 2013.05.24 Mさん(50代・女性・東京都) 『太陽の法』に出会って 幸福の科学の教えに出会ったのは、結婚して5年ほど経った頃でした。 独身時代は商社勤めで、朝早くから夜遅くまで働く日々でしたが、楽しい仕事に生きがいを感じていました。 ところが、結婚して専業主婦にな… 続きを読む 同じテーマの記事 「何があっても大丈夫!」逆境をバネに 2013.03.28 みさきさん(10代・女性・東京都) 小学5年で自宅に引きこもり、自殺を考える日々 父と母が昔から幸福の科学の会員でした。 私も幼い頃に入会していましたが、当時は信じていませんでした。「こうあるべき」という気持ちが自分を縛っている感じがして嫌だったのです。 … 続きを読む 同じテーマの記事 不登校を乗り越えて 2012.10.04 たいしょうさん(10代・男性・東京都) 自分が不登校になった理由は、小学校~中学校のイジメが原因でした。 当時の心の状態は、不幸を愛している傾向にありました。 常に自分が悲劇の主人公の様にしており、自己イメージも相当低く、毎日が本当に辛かったです。 しかしある… 続きを読む 同じテーマの記事 私は、信仰心で変わった 2012.10.03 まゆこさん(10代・女性・東京都) 自分が不登校になった時は、自律神経の病気で、家の周りを歩くのも困難でした。 その時の心の中は、常に不安や恐怖心、自己憐憫(じこれんびん)などがいっぱいで、いつも最悪な自分をイメージしていて、何かやろうという意欲は、全く起… 続きを読む