「何があっても大丈夫!」逆境をバネに 2013.03.28 みさきさん(10代・女性・東京都) Tweet 小学5年で自宅に引きこもり、自殺を考える日々 父と母が昔から幸福の科学の会員でした。 私も幼い頃に入会していましたが、当時は信じていませんでした。「こうあるべき」という気持ちが自分を縛っている感じがして嫌だったのです。 それでもいい子ぶって育ってきたので、何も文句を言わずにいました。しかし小学5年生の時、転校した先でのいじめもあり、突然何かがプッチンと切れて不登校になりました。 それから3、4年間ずっと自宅に引きこもり、誰もいない夜しか外出しませんでした。 だれがみても「かわいそう」と思うような姿だと思っていたので、人に見られるのが嫌だったのです。太陽も嫌いで、日が出ているときには活動することができませんでした。 毎日「どうやって死のうか」「窓から飛び降りたらどうなるんだろう」「壁に何回手をぶつけたら骨は砕けるんだろう」などとくだらないことばかり考え、リストカットをしたりもしました。 インターナショナルスクールで変われた! そんな生活が、中学1年生が終わる頃まで続きました。 「このつらい人生がいつまでも続いたら、どうなるんだろう。 勉強もできないし、人とも話せないし、このままいったら、苦痛でしかないんじゃないか」と思いました。 だから自殺も考えていたのですが、「こんな人生嫌だ、やっぱり変わりたい」と思ったのです。でも、どうすれば変われるのかもわからずにいました。 そんな時、母に「沖縄に幸福の科学の会員さんが経営しているインターナショナルスクールがあるから、そこに行ってみる?」と言われたのです。 私は「これしかチャンスはない」と思い、その2週間後には沖縄に旅立ちました。最初は泣きながら毎日両親に電話して「私、こんな状況もう無理」と話していましたが、徐々に変わっていきました。 「自分ってこうやって話せるようになるんだ!」とか「一人でモノが買えた!」とか、一つ一つできるようになることが本当に嬉しかったです。その頃から、両親にも感謝ができるようになりました。 不登校児支援スクール「ネバー・マインド」 その後、家の事情で、また東京に戻りました。 私の変貌ぶりを見て、「あんた、そんなんだったっけ!?」と驚く周りの声に「私変われちゃったんだよね。電車も一人で乗れるよ」と笑って答えていました。 それから、母に幸福の科学の書籍『太陽の法』を薦められ、読み始めました。 初めは少し難しかったのですが、「こういうことか!」と思うところもあり、幸福の科学の支部に足を運んだりもするようになりました。 沖縄に行く前から、幸福の科学の不登校児支援スクール「ネバー・マインド」に所属はしていましたが、「私のことを受け止めきれないだろう。友達にもなってくれないだろう」と思い、行くのを拒んでいました。 しかし、その後偶然が重なり、ネバー・マインドの合宿に参加することになったのです。中学3年生の時でした。 その時、「ふつうの友達と法友(幸福の科学の仲間)はこんなに違うのか!」とびっくりして、そこから「勉強したいな」と強く思うようになりました。 「みんなは、どんなことを思っているんだろう」とか「どういうふうにしてここまで来たんだろう」という事がとても気になり、聞いたり話したりする中で、「悩んでいるのは一人じゃなくてみんな同じだけど、考え方とかが一人ひとり違うんだな」ということもわかり、自然と友達ができるようになりました。 父が植物人間に…… そんな矢先、昨年1月、私の父が突然、扁桃腺が腫れて息ができなくなり、緊急で病院に運ばれました。 針を刺して膿を出そうとしたけれどうまくいかず、ほとんど息が通らなくなっているにも関わらず、1時間も点滴をされてしまいました。 「もう復帰はできない。100%もとには戻らない」と言われ、しばらく立ち直れませんでした。 「どうして最後の夜にそっけなくしてしまったんだろう」と、とても後悔しました。その3、4時間後に父と話せなくなるなんて考えもしませんでした。 また、病院の処置次第では助かったかもしれない、と思うと悔しくて、どうしても憎む心が抜けませんでした。 それでも、担当医の方も一生懸命やってくださっているので、感謝もあります。なかなか整理がつくものではありませんが、「仕方がない。あきらめよう。受け入れる」と思った時から、またすべてが変わり始めました。 父は、最初はICUに2、3ヶ月入り、「いつ死んでもおかしくない」と言われていましたが、もう1年間も生きています。 それ自体が奇跡ですし、「もう自分で呼吸することはできない。全部機械です」と言われましたが、今は自発で全部呼吸しています。 「お父さんはこの地上に使命がある!」と強く思い、回復を心から願っています。 将来は海外で働きたい! 私は、母がずっと英語教室を経営していることもあり、昔から海外の人と交流するのが当たり前の環境で育ちました。 そのため、高校に進学するよりも「海外に行きたい!」と思うようになっていました。 「チケット代だけは稼ぐ!」とアルバイトをしながらお金を貯めていましたが、父のこともあり、しばらく海外に行こうという気持ちからは遠ざかっていました。 でも、すべてを受け入れようと思った時から、「きっと父は、『自分が倒れたとしても、目指す道を歩んで欲しい』と思うだろう」「今ここで夢を諦めてしまったら終わりだ」と思うようになり、アメリカに行くことを決意し、昨年2ヶ月半の間、アメリカでホームステイをしました。 アメリカでは、「本当にあなたはできない」と言われ続け、落ち込むことのほうが多かったのですが、「やっぱりここ(海外)の世界にいたいな」と思いました。 私は今17歳ですが、将来は、海外で働いているイメージしかありません。 人々が幸せで、笑顔で、そして、そうすることで自分も幸せになって、笑顔になれるような仕事をしたいなって思っています。それがなんの仕事か今はわかりませんが、そのイメージを目標に、頑張っていきたいと思っています。 幸福の科学の教えがなければ、今頃ボロボロだった…… 私は今が本当に幸せなんです。 生きているだけで幸せってこういうことなのかな、と思います。 すごく大変なことや、嫌なこともありますが、それで自分が成長できて、その分他人のことを理解できたり、他人のことを知れたりするのなら、自分にとっては幸せなことなんだなぁって思います。 やはり、父のことがあったから、「これ(ふつうの生活)が当たり前じゃない」と気づけました。本当に感謝です。 母にも本当に感謝しています。 私のことを理解してくれていて、私の気持ちがおさまるまで全部やらせてくれるんです。いい両親です。 昔はすべてから逃げていましたが、今はもう何があっても「大丈夫、私できる。いくしかない。逃げちゃいけない」と思えます。 私は「主エル・カンターレに愛されている」ということが分かったから、両親の愛も感じられるようになりました。 「主が私を愛するように、お母さんたちは私を愛してくれているんだな」って思えたんです。 だから私もここまで生きてこれたし、今も明るく過ごせるんだと思います。多分この幸福の科学の法(教え)がなければ、今頃私はボロボロです。普通だったら耐えられないのかなって、時々思ったりします。 不登校の時の心境を振り返って 小学5年生の当時を振り返ると、引きこもりになったのは、「自分が愛されている」っていう実感がなかったからだと思います。 日本人は「好き」とか愛情を表現しないので、伝わりにくいですよね。色々と教えられても、「本当に私のこと好きで言っているの?」と思ってしまっていました。 また、私の家族は兄が一人、弟が二人の四人兄弟だったので、兄弟が多い分、一人に回すエネルギーも少なくなってしまうのもあったと思います。 私は弱音も言わずに溜め込んでいくタイプで、いじめられたことも、母親に言いませんでした。 自分の感情を押し殺して、「いいよやるよ」と言ったり、甘えたくても、「いいよ、私じゃなくて、弟たちでしょ。私はひとりでも大丈夫」と言ったり、「つらい?」と聞かれても「全然つらくない」と答えたり。 ずっと、「自分のことを最初にやっちゃいけないって」と思っていたんです。でもそんな風に、全部偽りの自分で生きていったので、積み重ねが爆発した時に不登校になり、すべてが嫌になってしまったんです。 その頃は「自分は嫌われている」と思っていたので、「むしろ嫌われるような存在になってやろう」と思い、友達が来てくれていると聞いても「帰って」と言ったりしていました。 「そういうことをすると○○になるの、わかる?」と言われるのがとても嫌でした。「分かっているからこそ嫌なんでしょ!」っていう時って、誰しもありますよね。 静かにそっと見守り、普通に扱ってくれたりとかするのがすごく嬉しかったです。 「主エル・カンターレを愛している」それだけで幸せ 今では友達に「黙ってると怖い!」とか「ニコニコしていても怖い!」といじられるんです。でも、そんなことを言われるぐらい、自分の心をオープンにできるようになったから、こんなに幸せで楽しいのかな、と思います。 今も、落ち込んだりすることもあります。 「言わなきゃよかった」とか「言われちゃった」とか。 でもその時は泣いて、叫んで、その日だけです。 次の日は「昨日悩んでいた自分はどこにいったんだろう」ってバカバカしくなっちゃうんですよね。 私は、幸福の科学の経典が大好きです。 今は『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』を手帳に書き移しながら学んでいます。そこまで要領がよくないので、興味ある経典を何度も読んで、腑に落としたいと思っています。 伝道活動はまだできていませんが、いつか「なぜあなたは幸せなの?」と言われた瞬間に、「主エル・カンターレを信じているからです」って言える人間になりたいんです。 「主の教えを信じているんです。私は主を愛しています。 主に愛されているのも、すごくわかる気がするんです。 私は主を愛しているのです。それだけです」 そう言って伝道をしたいんです。そんな自分になるには未熟なので、頑張っていこうと思っています。 いじめ・不登校,どうして信じているの?,どんな人がいるの?,変化したことは?,学生・青年 関連リンク エル・カンターレ 不登校児支援スクール ネバー・マインド 『人を愛し、人を生かし、人を許せ。ー豊かな人生のために』 同じテーマの記事 ご近所づきあいに負けず、娘のいじめを円満解決 2016.03.22 この記事は毎月発刊の機関誌「ヘルメス・エンゼルズ」第144号より転載し、編集を加えたものです。 娘(F)からの告白 長女のFが小学校2年生になってしばらく経った頃、毎日一緒に学校に通っているお隣のA子ちゃんとの関係がうま… 続きを読む 同じテーマの記事 いじめを完全解決に導いた「悪霊撃退祈願」 2015.07.17 Hさん(20代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第40号より転載し、編集を加えたものです。 いじめグループのいる重苦しい教室 私が中学2年の時のことでした。女子生徒の間で、ターゲットが次々と変わっていく陰湿ないじめが始まり、… 続きを読む 同じテーマの記事 息子を支えた「ネバー・マインド」(幸福の科学の不登校児支援スクール) 2014.11.07 Tさん(30代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第255号より転載し、編集を加えたものです。 不登校児支援スクール「ネバー・マインド」 幸福の科学では、不登校の親子を支援するため、フリースクール「ネバー・マインド」を開設して… 続きを読む 同じテーマの記事 高校生のいじめを親と教師で解決 2014.07.02 Sさん(40代・男性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第242号より転載し、編集を加えたものです。 長男の心の叫び 数年前のある日曜日。居間でくつろいでいると、「お父さん、ちょっと相談が……」と高校1年の長男が来ました。顔には精気… 続きを読む 同じテーマの記事 いじめを乗り越えて 2014.05.16 Iさん(10代・女性) 中学・高校時代にいじめを経験しました。 私の通う学校は荒れていて、強い女の子から目をつけられた私はいじめられるようになり、知らない子からも「死ね」と言われていました。 そのころの私はネガティブで人としゃべられなくなってい… 続きを読む 同じテーマの記事 不登校だった僕がクラスのリーダーに! 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