NEVER GIVE UPの精神が私を成長させた! 2013.12.20 Kanaさん(20代・女性) Tweet この記事は、毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第121号より転載し、編集を加えたものです。 最初のアメリカ留学でまさかの事態に 私が初めて留学をしたのは、高校2年生の8月のことです。約1年間、アメリカ・ウィスコンシン州の公立高校に通いました。当時はアメリカの文化をほとんど知らず、英語もそれほど話せませんでしたが、初めての留学ということもあり、目に映るものがすべて新鮮で、何もかもが上手くいくように思っていました。 しかし留学から約1カ月が経ったころ、大きな問題に直面しました。それは、学校でのイジメです。 クラスでいじめられていた2人の子と普通に接していたところ、私も同じようにクラスの人たちから避けられるようになったのです。授業中に席を離されたり、廊下で挨拶しても無視されたりと、とてもキツイ思いをしました。 そこで私は、クラスの先生や、スクールアドバイザーに相談し、ホストファミリーも、そんな私を守ろうとしてくれましたが、根本的な解決には至りませんでした。 なぜならその学校には、アジア人に対する差別や、「イケてない人は徹底的に無視する」というクラスメイト同士のルールがあったのです。 暗かったり、太っていたり、体に障害がある人は、すぐに「イケてない人」に認定されてしまいます。また、廊下でうっかり挨拶をしそこねると、その瞬間から絶交されます。このように学内では常に、「イケてる人(cool)かどうか」を、話し方や立ち居振る舞いで判定されるため、私はいつも人の目を気にして、ビクビクするようになりました。もともと自分に自信もなかったため、「いじめられるのは全部自分のせいなんだ」と思い、次第に人と関わることが怖くなっていったのです。その結果、ホストファミリーや、優しい友達との関係もぎくしゃくするようになり、精神的にボロボロになっていきました。 幸福の科学の教えを学んで、乗り切れた! 初めての留学先で逆境に直面した私は、「幸福の科学の教えを本格的に学ぼう」と思うようになりました。そのころの私は、まだ幸福の科学のメンバーにはなっていませんでした。 しかし父が先に入信していたため、大川隆法先生の書籍や布教誌は読み、教えの素晴らしさを知っていました。だから「幸福の科学の教えを学べば、きっと乗り切れるはず!」という確信があったのです。 私は、幸福の科学のラジオ番組「天使のモーニングコール」で大川先生のいろいろな説法を毎日聴くようになりました。 「苦悩には苦悩の意味があり、悲しみには悲しみの意味があるのです。つまり、苦悩や悲しみがあるということは、私たち人間に、選択をせまっているのです。選択とは、何か。つまり、私たちのひとりひとりが、与える側の人生を選ぶか、与えられる側の人生を選ぶか。その選択です」。 ラジオで配信される大川先生の説法を聴いていると、「苦しいけれど、あきらめないぞ! 自分が愛の存在になることで、この学校のみんなに幸せになってもらいたい!」と思うようになりました。 相変わらずつらい日々は続きましたが、大川先生のおかげで、人に対しては笑顔で、優しい言葉、ポジティブな言葉をかけるよう心がけることができ、残りの留学期間を乗りきることができました。 そして帰国したその年の冬、私は幸福の科学のメンバーになったのです。 あきらめない! リベンジを果たしたい!! 帰国してからしばらくは、留学先での対人恐怖のトラウマから、「もうアメリカなんか行きたくない」と思っていました。しかしその一方で、ふと気がつくとラジオで聴いた大川先生の教えを思い出している自分がいるのです。 「恐怖を消す方法」は、「『自分が最も恐れていることに挑戦する』ということです」。 私は幸福の科学の職員の方や、同じ教えを学ぶ法友に相談にのってもらったり、研修を受けたりすることにしました。 最初は対人恐怖から、相手の方の目を見てお話しすることができませんでした。しかしそんな私を、周りの方は優しく受け入れてくださいました。そのおかげで次第に、「私はダメな人間じゃない。私も神様に愛されているんだ」という思いが強くなっていったのです。 そうしているうちに心に元気が戻ってきました。そして、「もう一度アメリカに行って、今度こそ素晴らしい人間関係を築こう。次こそは楽しい思い出をたくさん作って、トラウマを克服しよう!」と思えるようになったのです。 二度目のアメリカ留学 最初の留学から約2年後の、2013年8月。私は再びアメリカ・カリフォルニア州へ、1年間留学することを決意して出発しました。 今回は大学の近くのアパートで、日本人、台湾人、フランス人の女の子と共同生活を送っています。初めての共同生活では戸惑うことが多かったり、料理が上手く作れなかったりして落ち込むこともよくあります(笑)。 でも今は、「これも神様に与えられた環境。忍耐するときなんだ!」と受け入れられるようになりました。そして、「私は、神様の子。前回の留学ではつらい出来事が多かったけど、それでも私は1年間耐えた。だからきっと今回も乗り切れる! もし失敗しても、またゼロからやり直したらいい!!」と考えるようになったのです。 一度目の留学では精神的にボロボロになりましたが、「もう一度、長期留学にチャレンジしよう。リベンジを果たすんだ!」という思いを持ち続けて頑張ったからこそ、今の自分があるのだと思います。 あきらめずに努力することの大切さを実感しました。 夢に向かって! そんな私の将来の夢は、ファッション誌の編集長になることです。編集員やモデルのみんなと共に大川先生の教えを学び、誌面を通して仏法真理を伝えていきたいと思っています。その準備として、現在は、幸福の科学の機関誌「ヤング・ブッダ」の制作ボランティアをさせていただき、来学期からは、大学で写真や絵画の授業も取ろうと考えています。 留学中は様々なことがありますが、これらの経験を通して、「どんな環境も、神様に与えられたもの。だから今は忍耐するときだ」と受け入れられるようになりました。 この留学が終わる頃には、さらに明るい未来が待っていると、確信しています。 この記事は、毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第121号より転載し、編集を加えたものです。 いじめ・不登校,人間関係,学生・青年,月刊「ヤング・ブッダ」 関連リンク ラジオ番組「天使のモーニングコール」 大川隆法総裁 教え 幸福の科学 入会案内 同じテーマの記事 ご近所づきあいに負けず、娘のいじめを円満解決 2016.03.22 この記事は毎月発刊の機関誌「ヘルメス・エンゼルズ」第144号より転載し、編集を加えたものです。 娘(F)からの告白 長女のFが小学校2年生になってしばらく経った頃、毎日一緒に学校に通っているお隣のA子ちゃんとの関係がうま… 続きを読む 同じテーマの記事 いじめを完全解決に導いた「悪霊撃退祈願」 2015.07.17 Hさん(20代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第40号より転載し、編集を加えたものです。 いじめグループのいる重苦しい教室 私が中学2年の時のことでした。女子生徒の間で、ターゲットが次々と変わっていく陰湿ないじめが始まり、… 続きを読む 同じテーマの記事 息子を支えた「ネバー・マインド」(幸福の科学の不登校児支援スクール) 2014.11.07 Tさん(30代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第255号より転載し、編集を加えたものです。 不登校児支援スクール「ネバー・マインド」 幸福の科学では、不登校の親子を支援するため、フリースクール「ネバー・マインド」を開設して… 続きを読む 同じテーマの記事 高校生のいじめを親と教師で解決 2014.07.02 Sさん(40代・男性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第242号より転載し、編集を加えたものです。 長男の心の叫び 数年前のある日曜日。居間でくつろいでいると、「お父さん、ちょっと相談が……」と高校1年の長男が来ました。顔には精気… 続きを読む 同じテーマの記事 いじめを乗り越えて 2014.05.16 Iさん(10代・女性) 中学・高校時代にいじめを経験しました。 私の通う学校は荒れていて、強い女の子から目をつけられた私はいじめられるようになり、知らない子からも「死ね」と言われていました。 そのころの私はネガティブで人としゃべられなくなってい… 続きを読む 同じテーマの記事 不登校だった僕がクラスのリーダーに! 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