娘の不登校の危機を乗り越えた体験談 2013.10.03 Sunさん(女性) Tweet この記事は、毎月発刊の「ヘルメス・エンゼルズ」第117号より転載し、編集を加えたものです。 「学校に行きたくない」「行きたくても行けない」――。 もしも、わが子がある日突然、不登校になってしまったら……。 今回は、子どもの気持ちを正面から受け止め、不登校の危機を乗り越えていった、お母さんの体験談です。 不登校の予兆 私には、S(中2)、N(小5)、Y(小3)の3人の娘がいます。 Sが小学3年生のときのことです。 3学期が始まって間もなく、学校の先生から電話がかかってきました。 「お母さんですか? Sちゃんがお腹が痛いと言って保健室で寝ていますので、迎えにきてもらえませんか」 Sは前日、風邪をひいて学校を休んでいました。 しかし、たいしたことはないと思い、登校させていたのです。 「ちょっと無理をさせちゃったかな」 翌日も「お腹が痛い」と言うS。 学校を休ませ、病院に連れていきました。 診察の結果は、少し便秘ぎみなだけで、特に変調はみられないとのことでした。 しかし、それから毎日、腹痛を訴えるようになったのです。 当時、私は毎朝、5時から7時までパートで働き、週に3回、自宅で子ども向けに英語教室を開いていました。 さらに次女のNが通っている幼稚園の役員もしていて、忙しい毎日を送っていました。 初めはSに学校を休ませたりして、様子を見ていたものの、4日も5日も続いてくると、だんだん「私も忙しいんだから、早く学校に行って!」という気持ちが強くなっていきます。 日曜日、妹たちと元気に遊んでいるSを見て、「明日こそ、学校に行けるかな」と思っていても、月曜の朝には、また「お腹が痛い」と訴えてきます。 「昨日、元気に遊んでいたでしょ。もう学校に行きなさい!」 「だってお腹痛いんだもん!」 なんとか送り出しても、すぐに「お腹が痛い」と泣きながら帰ってくるのでした。 結局、学校を休んだり、早退や遅刻を繰り返す日が続きました。 長女への期待 翌月半ば、私は子どもたちと一緒に宇都宮市にある幸福の科学の総本山・未来館に行きました。 そこで私は、講師にSのことを相談しました。 私の話をじっと聞いてくださっていた講師は、近くで友だちと遊んでいるSをしばらく見つめた後、アドバイスをしてくれました。 「もしかしたら、親の愛情不足を感じているのかもしれませんね。できればスキンシップを心がけてあげてください。まずお母さんが、いつも明るく、家の中の太陽になることが大事ですよ」 思い当たることがありました。 Sが幼稚園生の頃にNが、その翌年にはYが生まれ、育児に追われていた私は、「Sはお姉ちゃんだから」とあまり構ってきませんでした。 むしろ長女であるSには、「自分で強くなっていって欲しい」と期待をかけてきたのです。 「Sにもっと関心を向けなきゃ」 私は、その日からさっそくSのいいところを発見するよう心がけ、それをノートに書きとめたり、なるべくSに声をかけるように努めました。 「お母さん、どこにも行かないで」 春休みに入ると、Sも少しずつ「お腹が痛い」と言う日が減り、体調も安定してきたように見えました。 新学期、Sは4年生になり、Nが小学校に入学、Yも幼稚園に入園することになりました。 一方、私は仕事の他に、幼稚園のPTA会長や小学校と子ども会の役員なども引き受けることになり、今まで以上に忙しい生活に追われていきました。 5月に入ったある日、Yの幼稚園での運動会の打ち合わせを終え、帰宅すると、電話が鳴りました。 「Sちゃんが、お腹が痛くて寝てるので、迎えにきてもらえませんか」 Sの担任の先生からでした。 「え? また、始まったの?」 とてもやるせない気持ちになりました。 Sと一緒に家に戻り、寝かしつけていると、Sがポツンと言いました。 「お母さん、しんどいよう……。ここにいて、どこにも行かないで」 「この子、すごく寂しかったんだ――」 私は、Sのそばに付き添っていてあげたいと思いながらも、家事や仕事のことがどうしても頭を離れず、「ずっとここにいるよ」と、応えてあげることができませんでした。 苦い気持ちに襲われました。 私と同じ苦しみ 翌日の朝、子どもたちを学校に送り出した後で、お祈りをしていたときのことです。 私は、Sのことについて考えていました。 「Sは頑張り屋だから、周りの期待に応えようとして、できないギャップに苦しんでいるのかもしれない。それが体の不調として現われているのかな……。あっ、この苦しみって、私と同じだ!」 私自身も妻や母親、仕事、役員など、いろいろな役割を期待され、それに応えきれない苦しさを感じていました。 「私は、周りの期待に応えられなくて苦しんでいる自分も受け入れて欲しいって思っている。きっとSも同じ気持ちだよね」 そう考えた私は、Sに宛てて手紙を書き、その晩、Sに読んであげることにしました。 「Sは小さいときからしっかりしていたから、お母さんも期待しちゃって。Sは『しんどいよー』って思っても、言わないで頑張ってきましたね。お母さん、Sの気持ちが分かっていなかったことに気づきました。しんどいときはしんどいって言ってね……」 Sも初めは、黙ってじっと聞いていましたが、少しずつ表情が柔らかくなり、読み終えたときには、ほっとしたようでした。 それから主人や学校の先生とも相談して、Sと交換日記をつけることにしました。 お母さんより 「S、元気ですか? 今日はあまりお話ができなくて、ごめんね。ノートに書くと、口でうまく言えないことも正直に言えていいね。Sも思ったことを何でも書いてね……」 Sより 「席がえをしたよ。となりがいなくて、ちょっとさびしいな……。P.S.知らない漢字には、ふりがなをふってね」 普段、なかなか言ってあげられないことも日記だと書くことができ、このやりとりによって、親子の絆が深まっていくような気がしました。 家の中で太陽になる 私は、以前、幸福の科学の講師に言われたように、「家の中の太陽」を目指そうと思いました。 まず「家庭をやすらぎの場にする」という誓いを立てました。掃除にも気を使い、レシピ本を何冊か購入して、子どもたちが喜ぶような新たな料理にもチャレンジしました。 「最近、お料理おいしいね!」 と、子どもたちにも評判でした。 大川隆法総裁の『奇跡の法』の中には、「悲観的な想念に負けそうになったときには、それに負けないだけの肯定的な想念を自家発電しなければいけません」と書かれています。 私は家事と仕事で体が疲れてしまい、弱音を言いたくなるときには、「うまくできなくても、これを題材に成長していこう。頑張ろう!」と、自分に言い聞かせました。 そうしていくうちに、Sの表情もどんどん明るくなり、口癖のようだった「お腹が痛い」というセリフが減っていきました。 5年生の間はほとんど休まず、6年生になってからは一日も休まずに登校できるようになりました。 「行ってきまーす。今日、部活で遅くなるからー」 それからは、毎日元気に中学校に通うようになりました。 私は、Sの不登校を通して、Sが抱えていた寂しさに気づきました。 そして行動の奥にある子どもの気持ちを理解することが、子どもに安心感を与え、問題解決のための大きな一歩になることを実感しました。 今後、子育ての中で、問題が起きたとしても、正面から向き合い、理解できる私でありたい。子どもたちの心を照らす太陽のような私でありたいと思っています。 この記事は、毎月発刊の「ヘルメス・エンゼルズ」第117号より転載し、編集を加えたものです。 いじめ・不登校,教育・子育て,月刊「ヘルメス・エンゼルス」,親子関係 関連リンク 奇跡の法 幸福の科学 精舎 同じテーマの記事 ご近所づきあいに負けず、娘のいじめを円満解決 2016.03.22 この記事は毎月発刊の機関誌「ヘルメス・エンゼルズ」第144号より転載し、編集を加えたものです。 娘(F)からの告白 長女のFが小学校2年生になってしばらく経った頃、毎日一緒に学校に通っているお隣のA子ちゃんとの関係がうま… 続きを読む 同じテーマの記事 いじめを完全解決に導いた「悪霊撃退祈願」 2015.07.17 Hさん(20代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第40号より転載し、編集を加えたものです。 いじめグループのいる重苦しい教室 私が中学2年の時のことでした。女子生徒の間で、ターゲットが次々と変わっていく陰湿ないじめが始まり、… 続きを読む 同じテーマの記事 息子を支えた「ネバー・マインド」(幸福の科学の不登校児支援スクール) 2014.11.07 Tさん(30代・女性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第255号より転載し、編集を加えたものです。 不登校児支援スクール「ネバー・マインド」 幸福の科学では、不登校の親子を支援するため、フリースクール「ネバー・マインド」を開設して… 続きを読む 同じテーマの記事 高校生のいじめを親と教師で解決 2014.07.02 Sさん(40代・男性) この記事は毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第242号より転載し、編集を加えたものです。 長男の心の叫び 数年前のある日曜日。居間でくつろいでいると、「お父さん、ちょっと相談が……」と高校1年の長男が来ました。顔には精気… 続きを読む 同じテーマの記事 いじめを乗り越えて 2014.05.16 Iさん(10代・女性) 中学・高校時代にいじめを経験しました。 私の通う学校は荒れていて、強い女の子から目をつけられた私はいじめられるようになり、知らない子からも「死ね」と言われていました。 そのころの私はネガティブで人としゃべられなくなってい… 続きを読む 同じテーマの記事 不登校だった僕がクラスのリーダーに! 2014.04.30 (幸福の科学学園・関西校 中学2年生男子) この記事は、毎月発刊の機関誌「ヘルメス・エンゼルズ」第218号より転載し、編集を加えたものです。 以前通っていた中学校の雰囲気が合わず、中1の時、学校に行けなくなってしまいました。 でも、「幸福の科学学園でなら変われるか… 続きを読む 同じテーマの記事 NEVER GIVE UPの精神が私を成長させた! 2013.12.20 Kanaさん(20代・女性) この記事は、毎月発刊の機関誌「ヤング・ブッダ」第121号より転載し、編集を加えたものです。 最初のアメリカ留学でまさかの事態に 私が初めて留学をしたのは、高校2年生の8月のことです。約1年間、アメリカ・ウィスコンシン州… 続きを読む 同じテーマの記事 いじめに負けない! 幸福の科学の教えを信じて耐え抜いた娘 2013.11.30 Tママ(女性) この記事は、月刊「ヘルメス・エンゼルズ」第133号より転載し、編集を加えたものです。 駅の駐輪場での出来事 娘のTがいじめに遭っていると私が知ったのは、最初のいじめがあってから半年も経った頃でした。その間、娘は一人でい… 続きを読む 同じテーマの記事 いじめ、不登校、非行……私が立ち直るまで 2013.11.30 Mさん(20代・女性) この記事は、隔月発刊の「ザ・伝道」第120号より転載し、編集を加えたものです。 私はいま一児の母です。10代のとき、私は不登校や非行など荒れた生活をしていました。そんな私が、立ち直ることができたのは、仏法真理と家族の励… 続きを読む 同じテーマの記事 不登校の経験は、かけがえのない宝物。 2013.10.08 Yさん(10代・女性) この記事は、毎月発刊の「ヤング・ブッダ」第19号より転載し、編集を加えたものです。 みんなの前で叱られたショック 「何で宿題をやってこなかったの」 小学5年の2学期の初めごろ、私は夏休みの宿題を出せず、クラスのみんなの前… 続きを読む 同じテーマの記事 「いじめ」をなくすキーワード 2013.05.24 Mさん(50代・女性・東京都) 『太陽の法』に出会って 幸福の科学の教えに出会ったのは、結婚して5年ほど経った頃でした。 独身時代は商社勤めで、朝早くから夜遅くまで働く日々でしたが、楽しい仕事に生きがいを感じていました。 ところが、結婚して専業主婦にな… 続きを読む 同じテーマの記事 「何があっても大丈夫!」逆境をバネに 2013.03.28 みさきさん(10代・女性・東京都) 小学5年で自宅に引きこもり、自殺を考える日々 父と母が昔から幸福の科学の会員でした。 私も幼い頃に入会していましたが、当時は信じていませんでした。「こうあるべき」という気持ちが自分を縛っている感じがして嫌だったのです。 … 続きを読む 同じテーマの記事 不登校を乗り越えて 2012.10.04 たいしょうさん(10代・男性・東京都) 自分が不登校になった理由は、小学校~中学校のイジメが原因でした。 当時の心の状態は、不幸を愛している傾向にありました。 常に自分が悲劇の主人公の様にしており、自己イメージも相当低く、毎日が本当に辛かったです。 しかしある… 続きを読む 同じテーマの記事 私は、信仰心で変わった 2012.10.03 まゆこさん(10代・女性・東京都) 自分が不登校になった時は、自律神経の病気で、家の周りを歩くのも困難でした。 その時の心の中は、常に不安や恐怖心、自己憐憫(じこれんびん)などがいっぱいで、いつも最悪な自分をイメージしていて、何かやろうという意欲は、全く起… 続きを読む