幸福の科学の研修を受けて長女を愛おしく思えるようになった 2015.04.17 Fさん(40代・女性) Tweet この記事は毎月発刊の機関誌「ヘルメス・エンゼルズ」第108号より転載し、編集を加えたものです。 「私のこと、かわいくないんでしょ」 長女のRが2歳半のときに、弟のYが生まれました。 以来、私はYの世話で忙しく、「いい子に育てなくちゃ」というプレッシャーもあり、ついつい姉のRを厳しく叱っていました。 Rは素直にきかず、口答えをしたり、拗ねたりします。私は叱るのに疲れてくると、にらみつけてみたり、ため息をついたりして、黙らせることもありました。 そんな生活が続き、Rが6歳のときです。 「私のこと、かわいくないんでしょ」と、Rはきつい表情で言い放ったのです。 一瞬、私の頭の中は真っ白になり、何も言えませんでした。 おちついてよく考えてみると、これまで厳しくしてきたせいで、弟の方が母親からかわいがられていると感じていたのかもしれない、と思い当たりました。 そこで、娘と2人きりになる時間を作り、「お母さんはね、Rのこと、大好きだよ」と語りかけてみました。 「あ、そう。それウソ?」 Rは無表情にそう言うと、スッと部屋を出ていきました。 これは根っこが深いかもしれないと気づき、Rと真剣に向き合わなければいけないと思いましたが、そのころには3人目のHが生まれ、時間がなかなかとれずにいました。 甘え下手なところは幼い頃の私にそっくり 下の2人の子が私に無邪気に抱きついてくるとき、Rは“どうせ私なんか”という拗ねた目をして甘えてきません。 かわいげがないなという気持ちがどうしても湧いてきてしまいます。 Rの甘え下手なところは、幼い頃の私にそっくりでした。私は3人きょうだいの真ん中で、姉と弟に挟まれ、あまり注目されなかった記憶があります。母はいつも忙しそうで構ってくれず、私も素直に甘えられませんでした。 Rを見ていると、「お姉ちゃんなんだから、当然でしょ。私だって充分愛されなかったんだから」と思って、イライラしてしまいます。 主人からも、「Rに厳しすぎるよ」とよく注意されましたが、どうしても優しくできずにいました。 幸福の科学の未来館で研修を受けて そんな私に転機が訪れました。栃木県にある幸福の科学の総本山・未来館に家族で参拝したとき、私はRのことをじっくり考えたいと思い、開催されていた研修を受けたのです。 研修のなかで講師に促され、目を閉じてRのことを考えていくと、家族の中で1人だけ寂しそうな娘が思い出されます。 「愛を知らない。愛されることを知らない」という言葉がふと浮かび、それから思いつくままにノートに書き綴っていきました。 そうして思いつくことをそのまま書き続けていると、やがて第三者から語りかけられるような温かい言葉づかいに変わっていきます。 「この子は過去、たくさん傷ついてきた魂です。今世は愛を学ぶため、信仰を持つ両親のもとに生まれてきました。自分と同じ“心の傾向性”を持つ親を選んできました」 今まで薄々感じていたことをズバリ指摘されたかのようでした。 愛についての課題を持って生まれてきた長女を、まず理解することから始めようと思いました。 すると、不思議と、やるべきことがすらすら出てきたのです。 「叱る回数と小言を減らす。一日一回、褒めたり認めたりする言葉を口に出す。わざとため息をつかない。にらまない。無視しない」 書いているうちに、自分の態度が、娘の心にどれだけ影を落としていたかがわかってきて、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。 「これでは、私に愛されていると思っていないだろうな。愛してほしくても、口に出せなくて、日々鬱々としているんだろうな」と思いました。 「そんなRの心を受けとめるのは私。気づくのは私。私にかかっている」と気持ちを引き締めました。 研修の最後に、「悩んでいるあなたのことも愛していますよ。応援していますよ」という言葉が浮かんできました。 目には見えないけれど、私を見守ってくれている存在があるのだと実感しました。温かいまなざしを感じると、心が癒されていきます。 「こうして私も愛されているのだから、同じように温かい気持ちで娘のことを愛していこう」という気持ちになりました。私はRを育てながら、幼い頃の自分を育て直しているのかもしれないと気づき、自分にも娘にも完璧を求めずに、少しずつ成長していこうと決めました。心の中から、不安や焦りがスーッと消え、Rを素直で伸び伸びとした子どもに育てていけるという自信が出てきました。 研修帰りの車でさっそく驚きの変化が 研修が終わって帰りの車に乗ったとき、驚くことが起きました。いつもなら、私の隣には下の子2人が座るのですが、このときにかぎって、Rが座ってきたのです。 「私だって、お母さんの側にいたいもん」 そう言われて嬉しさがこみ上げました。 道中、子ども達が眠っている間に、私は研修での気づきを主人に伝えました。主人はしみじみと、「本当によかったね」と言ってくれました。 ありがとうと言う習慣から褒め言葉を言えるように 日常生活が再び始まると、私は明るい心を保つようにして、まずは叱る回数を減らし始めました。 それまでは朝娘が出かける時間が遅くなると「だから昨日言ったでしょ。大体いつもあんたは」と、過去のことまで引っ張り出して叱っていましたが、それをぐっとこらえて、娘の言い分を受けとめてから注意するようにしました。 その次は、娘を褒めようと思いました。けれども、これは今までやっていないので、とってつけた感じになりそうです。そこでまず、「ありがとう」と言うことから始めました。 Rには、毎日、夕食の準備を手伝ってもらっています。 娘がスプーンをとってくれただけでも、「ありがとう」と言うようにしました。そしてそれが自然に言えるようになってから、「お母さん、ほんとうに助かるわ」と、言葉をたしていきました。言葉に出すと感謝の思いが湧き、ちょっとしたことでも褒められるようになりました。 「卵の割り方、上手になったね」というかんじで褒めると、Rははにかんだ顔を見せます。 やがて、お手伝いを進んでしてくれるようになりました。 「お母さん、Hは私がみるよ」と言って、私が忙しい時には、自分から妹の世話をしてくれるようにもなりました。 こんなに思いやりのある子だったんだと、目からウロコが落ちる思いでした。 娘を心から愛おしいと思えた 研修から数カ月経ったころ、主人と子ども達が散歩に出かけたとき、Rがケガをしました。妹を背負って歩いているときに転んでしまったのです。前歯2本がぐらぐらになってしまいました。 歯医者に向かう車の中で、私は主人から事情を聞きました。妹を背負っていたとき、道行く人々に「えらいね」と声をかけられてがんばり過ぎてしまったそうです。Rを抱きかかえていた私の目頭が、熱くなりました。 背中をさすりながら、「褒められてよっぽどうれしかったんだな。限界までがんばって歩いていたんだなあ。かわいそうに、こんなケガをして」と、いとおしい気持ちが一気にあふれ、涙がとまりませんでした。 「ああ、私はこの子を愛しているんだ。やっぱり愛していたんだ」と胸がいっぱいになりました。 それからは、“この子を愛している”という自信が持て、Rの言動にひっかかることがあっても、前ほど心が揺れなくなりました。 Rも、褒め言葉を栄養にして、よいところがどんどん伸びていくようです。娘を育てることで、私も自分の心を磨き、愛の器を広げているのだと思います。母として一層成長できるよう、これからも努力していきたいと思います。 この記事は毎月発刊の機関誌「ヘルメス・エンゼルズ」第108号より転載し、編集を加えたものです。 出産・育児,月刊「ヘルメス・エンゼルス」,研修・行事 関連リンク 幸福の科学機関誌 月刊「ヘルメス・エンゼルズ」 『じょうずな個性の伸ばし方』 『ハウ・アバウト・ユー? ―幸せを呼ぶ愛のかたち』 同じテーマの記事 食物アレルギーの娘――必要な栄養は親の愛だった 2015.09.01 Nさん(女性) この記事は毎月発刊の機関誌「ヘルメス・エンゼルズ」第123号より転載し、編集を加えたものです。 食物アレルギーの長女 長女のMが生後半年の頃。それまでの母乳から、初めて粉ミルクを与えた直後のことです。 ミルクを吐き出し、… 続きを読む 同じテーマの記事 養母との関係を見直して――心配性の克服で豊かな愛の子育て 2015.03.06 Cさん(女性) この記事は毎月発刊の機関誌「ヘルメス・エンゼルズ」第112号より転載し、編集を加えたものです。 心配が募っていく…… 「自分の意見を言えるようになろう」 小学4年生の娘のMがもらってきた通知表を見て、私はがっかりしました… 続きを読む 同じテーマの記事 重度障害を持つ三男は家族の宝物! 2014.04.19 Aさん(女性・岡山県) この記事は、毎月発刊の機関誌「What’s幸福の科学」第58号より転載し、編集を加えたものです。 妊娠6カ月のとき、お腹にいる三男に、重い障害があると判明しました。1カ月くらい、何も手につかないほどショックで… 続きを読む 同じテーマの記事 ダウン症の次男の子育てで気づいた、小さな成長を喜ぶ心 2014.03.11 Sさん(女性) この記事は、毎月発刊の機関誌月刊「ヘルメス・エンゼルズ」第119号より転載し、編集を加えたものです。 不安性の私 私は、人から「趣味は何ですか?」と聞かれると、「子育てです。」と答えます。 子育ては大変なことも多いけれど… 続きを読む 同じテーマの記事 いじめ、不登校、非行……私が立ち直るまで 2013.11.30 Mさん(20代・女性) この記事は、隔月発刊の「ザ・伝道」第120号より転載し、編集を加えたものです。 私はいま一児の母です。10代のとき、私は不登校や非行など荒れた生活をしていました。そんな私が、立ち直ることができたのは、仏法真理と家族の励… 続きを読む 同じテーマの記事 難病を持つ娘と過ごした日々 2013.10.01 Kさん(40代・女性) この記事は、隔月発刊の「ザ・伝道」第111号より転載し、編集を加えたものです。 生まれたばかりの娘が難病を抱えていた――。 それは、「自分は不幸だ」と思うには、十分すぎる理由でした。 どん底のような思いで生きる日々……。… 続きを読む